晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

お世辞と本音が見分けられなかった

社会に出て、お世辞を知った。その中で、思ってもないけれど、

一応場を保つために言うという行動を知った。

 

「偉いね」と褒められれば、「そう思ってもらってるんだ」と思ったし、

「結婚願望なんてないよー」と言うと、「そういう人に限って結婚早いんだよ!」

と言った高校の同級生はもう結婚しているんだろうか。

 

一昨年に1人、そして去年、誕生日を迎えた同級生の名前が変わっていて、

一瞬誰か戸惑ったが、それは結婚による苗字の変化だった。

 

「あ、結婚したんだ」

 

私は何処かで寂しくなった。「おめでとう」と第一声で言うべき。

心でも祝うべきなのに。途端に寂しさが胸に広がった。

 

私は7つか6つ離れた姉が居る。

(母が7つと言ったり6つと言うので曖昧な表記になる)

 

その姉が結婚すると今の旦那さんと、家に挨拶に来た時、

私は空しさと共に「誰だよ」と内心矛先を向けてしまった。

 

そこからしばらくは好きになれなかった。

仲良くない姉だけど、それでも私の唯一の姉だから。

兄もいるけれど、性別は違うし。

 

それから少しずつ旦那さんが本当に姉が好きで、

幸せにしたいと思っていることを感じて、

その空しさとは完全的にではないけど、サヨナラした。

 

ほぼ毎度私は言った。

「姉のこと幸せにしてください」

 

私たちは、決して平坦な道で育ったわけじゃないから。

周りと違う普通を抱えて生きてきたから。

家族それぞれ辛い思いをしたけど、一番辛かったのは姉だろうから。

 

と、思いながらも何処か、

先に家を出て、幸せになった姉に矛先を向けてしまう自分が好きじゃない。

 

私はまだ、家という制限のある中で生きてる。

私はまだ、この苦しい過去と現在が混ざり合った世界で、生きてる。