晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

いつも偶然に

何かどん底に辛いことが会った時、恩師に偶然出くわす。

母校が近所にあるからというのもあるし、先生の家も近いということも関係ある。

 

『いつだって、突然だ』という小説を書いたことがあるが、

物事は突然起こることも多いな、と運命を感じることがある。

 

高校の時も、社会人になりたての時も、慣れてきた頃も、

身体を壊して、会社を辞めた今も、話を聞いてくれる稀有な存在だ。

 

先生は国語の先生で、私が高校3年生の時に赴任してきた先生で、

演劇部の副顧問になった。丁度私の国語の教科担で、

私が選択した国語系の授業も先生が担当していた。

 

そして、何より年齢が近かった。

 

当時17歳の私にとって、30歳の先生は、

どこか近くて。

 

大人にもなりきれていないけれど、子供と呼ぶには熟し始めている歳に、

こっち側のことを理解してくれようとしてくれる先生の存在は、

本当に有難かった。

 

だから何でも話したし、何でも相談した。

私の周りや親族は否定することばかりだけど、

唯一と言っていい程、絶対に否定しない人と言った。

 

こっちが闇落ちのような状態に陥っていても、

芯はブレることなく、客観的に物事を見つめて、

言える範囲で言ってくれる。

 

話は遮らず、最後まで聞いてくれる。

自分の意見にねじ伏せようとしない。

 

そんな先生が眩しくて、今もずっと憧れている。

こんな大人になりたい。こんな風になりたい。

 

年に何度かメールを送る。

返信は早くはないけど、真心のこもった返信をくれる。

 

今の時代、メアドを持ってくれていることは珍しいだろう。

でもこの関係が良いのだ。

 

先生と生徒。

どこかで一枚壁があり、プライベートな部分は、

お互いが吐くまで触れない。

 

でも辛い時は少しだけ踏み込む。

 

私が先生の悩みを聞くことはないと思う。

でも「こうやって話してくれるだけで嬉しいよ」と言ってもらえてるなら、

少しは恩返しができているだろうか。

 

次、会った時、

次、返信が来た時には、

良い報告もしようと思う。

 

先生と出逢えて良かったです。

先生のお陰で、国語の授業がもっと好きになりました。