誰かは見ているから。
期待している時に限って、中々成果は得られない物。
でも、あまり期待していないときにフラッと振り向くと、
思わぬことが起きていたりする。
なんもないだろーとメールを開いたら、
このブログにコメントが書かれている、と。
驚きでいっぱいになった。
まだ嬉しい気持ちが追いついていない。むしろ怖いぐらい冷静。
でもきっと、今日夢の中へ行く前、
明日のバイト中、このことを思い出して嬉しくなるだろう。
私が中学生の頃のことだった。
当時私は、帰宅部で、なんかのなりゆきで整美委員(俗に言う美化委員)になった。
それからなんとなく続けた。
委員と言っても、年に何回か、
会議に参加するだけで、特に発言することもなく、
仕事をこなせばいいだけだからだ。
それにおまけとして、内申点も上がるのか。
勉強が嫌いだった私にとって、それぐらいでしか自分を表現できなかった。
私は誰に頼まれるわけでもなく、
というかそもそも好きだったのかすらわからないが、
年1で花壇に植えていた花たちのもとへ毎日通った。
行きに見、帰りに見ては、
日々を過ごした。
見つければすぐに雑草を取り、
帰りは水をやる。
そして、夏休み。
帰宅部で暇だった私は、家から10-15分ぐらいに中学校があったのもあり、
毎日通い、花壇を世話し続けた。
それが美徳であるとか、
そんなに凄いことだと思わずにやっていた。
それをし続けた結果、
私は学級新聞の一角に「夏休み中も花を世話をしていて~」と書かれた。
大変うれしかった。先生から褒められるのは凄く嬉しかった。
それに頼んでいなくても、
同級生たちが「水やっておいたよ!」とか言ってくれたりして、
交わることが出来たのが何よりもうれしかった。
時は色々交わってしまうが、
学級新聞に載ったのは確か、中3。
整美委員を続け、整美委員長として生徒会に入ったのは、中2。
委員長を引退した後も、委員として在籍した。
その頑張りがその人たちの「頑張り」にそぐうような形になるかは分からない。
でも、何時か、何かのプラスにはなるのではないか、と思う。
人生全てのことに意味があるかは分からないし、
意味をつけようと思えば、いくらだって付けれるが、
もし、今「何のためにやってる?」と思っていたとしても、
何時か先、「このためか」とストンと落ちる瞬間があるかもしれないと思う。
私は姉兄に比べて、学力も低いし、身長も高くないけれど、
この出来事だけは誇らしい。そう思える。
そういう積み重ねが、自分を少しだけ強くさせ、
生きる源になるのかもしれない、と今日こうして書いている今、思った。