私はそっと抱き寄せてくれる人を待っているのかもしれない
今日の深夜1時。寝床に入り、私の不眠症を改善した、
youtubeで語り掛けるようなボイスを聴きながら、
いつものように朝を迎えようとした。
そのボイスは更新されたばかりで、
思わず聞き入っている感覚がしたとき
「これは楽しんでしまって寝れないんじゃないか」と一抹の不安を抱いたが、
それを無視し、そのまま続けた。
内容は急に不安になってしまった子に、
背中を撫でてあげたり、声を掛けるという内容だった。
その時、特別悩んだことはなかったが、
その優しい声を向けられたことが無い私にとって、
それはある意味の救いで、
その救いを報われなかった過去に向けた時、
浸潤していた記憶が血液を巡り、じわじわと脳内を支配し始めたのだ。
母が倒れた後、
暖房の前で座り込んでいた時。
幼稚園か
学校に行きたくないと座り込んだ場所。
リハビリに向かおうとする
母を止めた場所。
未だにそこに座ると思い出してしまう過去。
過去なんて忘れて~。という言葉があるが、
私は忘れたくても忘れることができないのだ。
だって、もう身体に刻み込まれているのだから。
何度も抗って、何度も違う記憶で上塗りしたけど、
「うまくいく」と思った矢先に剥がれていく。
その残酷さを経験すればするほど、
絶望するから、もう抗わないことにしている。
私は1つ神様にお願いしたいことがある。
本当は2つだけど。
生涯で1人だけでもいい。
この人だ、と思う人とお付き合いさせてほしい。
そして、その時に、
今までの辛かった過去に対して、
アドバイスとか改善策なんて言わなくていい。
ただ抱き寄せて、
その温もりで、記憶を一瞬だけ遠ざけてほしい。
温もりは、その時だけでなく、
きっと未来にも影響する力だから。
特別なことはいらない。
ただ抱きしめてほしい。それだけで大概のことは報われる。
自分の心がそうつぶやいているのだから、きっとそうだ。
何度も死にそうになったり、
お湯と冷水の中を行ったり来たりするような、
地獄の中生きてきたのだから、
それぐらい叶えてよ。
なんて、友達でもない神様にため口で語り掛けるほど、
私は切実なのだ。
もし過去へ遡れるなら、
母が倒れたと知った時に行って、抱き寄せたい。
過去は変えなくていい。
辛い目にあってしまうけど、
そう考えると心苦しいけれど。
ただ抱き寄せられるだけで、
同じ出来事が起きたとしても、
少しだけ違ったんじゃないか、と思うし、
そうだと思う。
あの時の小さな私を救えるのは私しかいない。
今も尚、あの時の自分をどうやったら救えるか考える。
幼かった私へ。
あの時、してほしかったことは何?
できないことでも、迷惑だとかそんなことを考えてしまう大人になる前に、
それだけ聞いておきたい。
本当にしてほしかったことは何だった?