晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

希望でも、絶望でもなく、真ん中でもない

タイトル通りの日々が昨日辺りから進んでいる。

 

首をくくるほどの絶望ではないことは確か。

 

けれど、あの時の衝動の手前の手前にあった、

死に向かう映像が浮かんだ。それはまずい、と反射的に感じて、

姉さんと相棒に連絡をした。

 

話は長くなるので、割愛するが、

相棒とは最近あまりうまくいっていない。

 

いや、相棒が悪いワケではない。

冷静に考えて、相棒は正論を言っただけ。

それにもう1人の私も同じことを考えていた。

 

それなのに、いざ自分に正論を向けられると、

少しイラついてしまった。

 

その言動にイラつき、少し離れたい。

冷却期間が欲しい。よりも、

その相棒という人物自体と距離を取りたくなってきたのだ。

 

分かりにくい文なのはわかっている。

今も尚冷静ではないからだ。言い訳にすぎないが。

 

例えば、その言動が悪だとしても、

相棒は悪ではないはず。少なくとも真っ黒ではない。

 

なのに私の脳は相棒が悪だと信じ込んでいる。

それを抜け出そうとしても、抜け出せない。

 

相棒は凄く優しくて、人の痛みが分かる稀有な存在だ。

実際に去年の夏頃~秋にかけて、死に向かっている時、

助けてくれた。

 

姉さんもそうだ。

 

でも希望的な現状でもない。

 

じゃあ真ん中では?

 

それも違う。

 

定規で言えば、1.5mmとかキリの良い数字ではなく、

太い鉛筆だと1.7mmなんかは6mmや8mmと塗りつぶされてしまう。

 

そんな中途半端な場所に居る。

 

今、私は相棒と話していても、

以前のような感覚で話せない。

 

この人も前の人たちみたいに、

私を置いて行っていくんだと思っている。

 

そして、恐れていたことが起きている。

その矛先が姉さんに向きそうなのだ。

 

堪らず怖くなり、

「少し落ち着いてきます」と連絡した。

 

私が信頼できるのは二人だけだった。

 

だから、姉さんを失えば、

私はもう何を頼りに過ごしていいかわからない。

 

どう考えたって、私の味方なのに、

相棒や姉さんだって仕事の合間や、プライベートの中、

時間を繕って、電話やメッセージのやりとりをしてくれたというのに。

 

この愚かな私。

私は赦せない。

 

私は、ずっと幼い頃から、自分自身を認めてくれず、

よくわからない大人の渦に巻き込まれ、

普通になれ、と価値観を押し付けられ、

 

周りとの考えの違いや家庭環境の差に苦しみながらも、

それでもみんなの言う「普通」になれば、

みんなが幸せになると信じてやってきて。

 

それでも誰も笑わなかった。

 

その家族や親類を憎んでいるのだと思っていた。

 

でも違うのかもしれない。

一番憎んでいるのは、自分自身なのかもしれない。

 

世間や家族の普通にそぐわない自分が、

一番罪だと思っているのかもしれない。

 

自分でも混濁する感情に整理がつかない。

 

こんなことを21年間も繰り返してきている。

私はあとどのぐらい悩み苦しんだらいいんだろう。

 

いつ、私のもとには、

晴れの兆しがやってくる。

 

早く曇りになれ。

 

そうすれば、

晴れがうっすら見えるかもしれないし、

 

雨の予報かもしれない。

 

でも今は、真っ暗な場所で、

天気も分からない場所で生きている。