ブログを書かなきゃと思って、
新年のあいさつをしてから、もう2週間ほど。
ようやく書きたいことが浮かんできた。
書こうとしたその時、”整然とした”というワードが広がった。
意味は、きちんとして正しく整っているさまだそうだ。
私の部屋も人生も人柄もそれとは程遠い。
姉の新築の賃貸の部屋の方がよっぽど綺麗だ。
色んな文化やモノの時代が棲みつく実家は
まるで私や私たちの人生を体現しているかのようだ。
22歳、小太り、性別女、だけど、ボーイッシュ、
イケメンになりたいけど、鳴り損ねた人物、
アルバイト生活、フリーター、週3、休日週4日
趣味は映画、小説を書くこと、毎日3~4杯、カフェオレとカフェラテを飲むこと
恋人はなし。昨年出逢ったボイの女の子とはもう話せない。
熱烈な恋もひっくり返った。
悲劇と言えば悲劇の人生。
ただそれを書くことができる才能の芽があったことは喜劇の人生。
あとどうするかは自分次第。
いっそのことこの全部のコンプレックスを逆さに取り、
あっけらかんとした顔でたたずんでみようか。
意外と怖かった人生という大きな文字が、
ちっぽけなものに見えるかもしれない。
誇大妄想をしているのかもしれない。
常に最悪のシナリオを想像し尽くしてきた私の辿り着く道は、
哀しい始まりだけではないかもしれない。
この窮屈な月給6,7万の生活。多すぎる休日の中での、唯一の安らぎ。
映画鑑賞。それを思う存分味わいながら、屈辱を舐めながら、
また心の平穏を取り戻そうか。
幸せとは満ちている気持ちで、
物をたくさん持っていることでも、知識に満ちているわけでもなく、
自分が自分だとちょっと誇らしく浸れることかもしれない。