晴れを待ちわびて

どこか成長したり、止まったりそんな自分の記録のようなもの。

段ボールに仕舞ってあるあの頃

実家には段ボールに厨房靴で2足大事に保管されている。

私にとって、調理服とは、厨房靴とは誇りだった。夢中になり心臓を高鳴らすものの制服だった。

包丁で材料を刻みながら、鍋で調理しながら、その熱い取っ手を軍手で掴んだあの時も。

 

厨房靴の裏を見ると何処かだけ擦れていた。

調理服には、ソースが散った。

包丁は使えば使うほどいつか切れなくなる。

 

それが全て一生懸命生きている証拠だった。

 

1冊でびっくりする値段のする料理本をいくつか買った。休憩時間に常に読んでいた。

でも理解したいのに全く頭に入ってこない日々に怯えた。

気持ちとは裏腹に上達しない自分がもどかしく、年齢の近い先輩も同期もその厨房にはいなかった。

 

自分で買った調理本は、余りに専門的すぎて、きっと使うことがないのはわかっていた。

あの厨房靴をもう1度履いて、あの時とは違う分厚さの調理服を着たとき、なんとも言えない安心感に包まれたというのに、

数日で私は耐えきれなくなった。

 

もう私はこれを着れない。履けない。と分かった瞬間が確かにあったが、それをつい最近まで記憶の奥深くに隠していたようだった。

 

今更見つけたあの気持ち。

 

自分で別れを告げたのではなく、

年齢による疲れでもなく、

ゆっくりと私を蝕んだ何かによって、

私の4年がフッと埃を吹くように消えた。

 

もうこの服を着れないんだと、

脱いだ瞬間、あの日、もう戻らない場所を名残惜しくも、早く離れたくて、自転車を漕いだ。

 

もう自分が身体的に戻れる状況ではないことが自分でよくわかる。周りには復帰することを言われたりもするが。もう無理だと認めざるを得ない。

 

演劇部の次に夢中になれるものだった。唯一。

 

もう一区切りつけなければならないのに、

私はまだあの頃の青春の結晶の入った段ボールを開けられないでいる。

そしてその料理本も埃が被ったままだ。