晴れを待ちわびて

どこか成長したり、止まったりそんな自分の記録のようなもの。

2026年

私にとってこのホームページとは、自分を表現する場所だった。そして、誰かに慰められ、

小説家になるためにこのブログが何か役立てば良いと思った。

正直なところ、私はそんな野心と欲を持っていた。

 

でも今は見られる数やいいねより、あの頃の私、そして今の私が過去になる時の感情が詰まっているものを見れることが私にとっては宝だ。

 

幼い頃からあらゆる衝撃があった。

数えきれないほどの。

そしてその時代に生き抜くために術を身につけた。でも成長すればその生き抜く術は変わる。

だが、それに気付くまでに多くの時間が掛かった。

 

5才ほどの子供が誰かに助けてと言えるほど言葉が追い付かない。ロールモデルもいない。家族はみんな今を生きるのに必死だった。

 

 

もしタイムスリップが出来たら、ただあの小さく泣いても喚いてもはしゃいでも走っても良い年齢だったわたしに、抱き締めたいと思っていた。

「未来の私」や「これからなんとかなる」だなんて言葉は現在を生きて、明日も見えない私には何の効力もないどころか、

果てしなく続く人生=苦しみが続くと認識するだろうから。

ただ今は、辛いという言葉で表すことは出来ないほどの荒波と暗く深い地下に長年閉じ込められるであろう私を見守りたいと思う。

 

10代の頃、社会の荒波に揉まれたとき、

病院へ通うのが当たり前になったとき、

私はどうやって日々を生きていたか、ほとんど記憶がない。

ただ今へと繋ぐこの身体があるということだけがわかる。

 

10代の辛さで悩もうが、終わったことに苦しもうが、「苦しいのならそのまま苦しくて良い」と思った。きっといつかその苦しみも少しずつ柔らかくなるだろうから。

無理に苦しみを絶ちきる必要も、ポジティブに生きる必要も、予定だらけのスケジュールを入れる必要もない。

 

出来ないことが多くても恐れることはない。

誰しも出来ないことから始まるのだし、

始めてすぐに辞めても良い。

始めたその一歩が素晴らしいから。

 

夜が眠れずに朝から寝ても良い。

だって眠れないのだから。

本人が一番辛く、どうにかしたいとあれこれ試しているはずなのだから。

 

正しいことはある。夜は寝るべき、スマホは寝る前に見ない方が良い。確かにそう。

 

でもそれがうまくいかないことを責めなくて良い。あくまで、そうした方が良いという話で、それが出来ないことで「自分は正しくない人間だ」と思わなくて良い。

 

ただ責めてしまっても、責めた自分が悪ではない。必死に生き抜くために、自分自身が懸命にしている証拠だから。

 

SNSをやってもやらなくても良い。

 

個性的な人物にならなくても良い。

ただ毎日呼吸をして当たり前のように生きている、それだけで私はとても頑張って生きていると思っている。