晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

すれ違い、手を繋げそうなところで離れていく

家族と分かり合えると、腹を割って話すことがある。

その時は、救われるように大泣きし叫び楽になる。

 

それで終わりなはずなのに、

その感覚は間違いだったと間違いなく数週間の間で知らさせる。

 

些細なことだ。

 

例えば今引っ越しをしようとしているが、

昨日までは「引っ越しを手伝う。ココに買いに行こう」と言った人が、

次の日には「私の休みをアテにしないで」と言う。

 

その度に、裏切られた気分になる。それをわかってだろうか。

何度も言われた。

 

「ドラマや映画のような家族なんていない。期待するな」

 

「人に期待したら、してもらえなかった時落ち込む。だからやめなさい」

 

確かに正しい一面もあると思う。

だけど、それはどこか「ドラマや映画のような家族」を成立できないと暗に言っているようで。

 

兄と電話する度、私はホロリと泣いてしまう。

これは防げないのだ。自然と涙が出て、辛い気持ちを打ち明けたくなる。

 

でもどこか私たちは価値観が違って、すれ違う。

 

自分が聞いてほしいことを「その話はしてない」「そんな話を聞きたいんじゃない」と言う「その話」が私の一番辛い話なのに。

 

姉や兄に助けを求められない、結果母に話す。

私は一体、母以外の味方をどう探せばいいのだろうか。

 

母がいつか老人ホームに入るか、亡くなった頃、

私は生きているだろうか。

 

私は一人暮らしをする予定だ。

母や兄からは連絡は返してほしいと頼まれている。

 

これは至極当然のことだと思う。

 

でもこれまでの家族からの幾度とない仕打ちや束縛を受けた私は、

せめて1か月、何も連絡せず、私が連絡するときだけでいいから、

何も聞かず、何も言わずにいてほしいと切に願っているのに、

それすらも叶わないのか。

 

今の状況が悪いのは分かっている。

 

起きるのは昼だし、一日スマホかテレビで映像作品を見ている。

外へもほとんど行かないし、人とも会わない。

 

分かっている。

 

鬱だからと言い訳にしている部分があることぐらい。

周りから見たら怠慢だろうな、そう思われているんだろうなということぐらい。

 

でも今まで一生懸命体力以上の走りをしてきた。

心も体も朽ちて、役に立たなくて、そこまで酷使してきたのに、

だから休みたいのに。誰からのアドバイスももらわず己で考えて、踏み込みたいのに、

どうして家族というものはこういうタイミングを待ってはくれないのだろうか。

 

「何も言わないでくれ」と言った時、兄が電話口で泣いていた。

微かにそんな音を聞いた。

 

「そんなの兄妹っていうのかよ」と呟いた気がする。

 

私達、きょうだい、兄姉私は特殊なのだ。

お互いに支え合える時などほとんどない。

己の身体と頭で生きてきた。

 

家族や姉兄のするほとんどのことが私の精神的状態の良くない方向と一致する。

ほとんどすべてが逆なで状態なのだ。

 

抑うつ状態になって、自分が感情をコントロールするのではなく、

感情に翻弄される1日、1日の繰り返しなのだ。

 

その中で見栄える自負は、辛いことの芽吹きでしかなく、

いつも心では泣いているか、ビンタをされたようにヒリヒリしている。

 

このところ、おかしい。

 

頭がボーっとして、聞かれたときに何か答えたくても、

言葉が全く思いつかない時がある。

 

問い詰められるとそれは悪化する。

言葉と言う言葉が自然にもでてこない。浮かびさえしない。

 

時折、心労が増すときは心臓が少しだけ痛くなる。

 

分かっている。家族の思うように生きれれば、治すために前を向けば、

みんなが安心することぐらい。そうすれば、本当の意味で自立できることぐらい。

 

家族の思うように生きられていない私など、

価値などないとさえ思う。

 

兄と電話を切った後、強く死にたいと思った。

 

いつもただのんびり過ごしているように見える私は、

思い出す記憶は叱責された記憶とできなかった過去の負の遺産

焼き付く記憶は叱責と裏切られた記憶とわかってくれないじゃないかという気持ちと

なんで私こんな人なんだろうという自分への信頼度が下がる記録。

 

唯一と言っていいほどの親友が居る。

その親友に話していた数年前まで改善策はいくつも提示された。

 

でも今では、「俺から言えることはあんまりないんだけど……」という言葉が多くなった。親友を責めているわけではない。

 

ただ私は悟った。

 

「あぁ、専門の先生でないと、いやその先生すらもどうしようもない奥深くのずーっと奥深くのところまで来てしまったのか」と。

 

一人暮らしをして、私は精神状態が良くなるのか、

それとももっと悪化する一方なのか。

 

ただただ不安なだけだ。

一流になれなかった人生

今の時代、料理人がフランスやイタリアで修業していた人は少なくない。

むしろ時代が進むとともに増えてきた。

 

そんな話を聞いたりする中で私は都会でも田舎でもないような場所で育ち、

料理とはそれほど遠くなくでも近くない環境で育ち、

フレンチとはかけ離れた生活をした。

 

その中でかっこいい料理人を何人も見てきて、こうなりたいと思った。

でもそうなるにはどうしたらいいか、わからなかったし、

そもそも相談することなのかも、そもそも相談という単語すら浮かばなかった。

 

その日にある仕込みや料理を調べて、

抜き打ちテストのように聞かれる料理に対しての知識をその場だけでも覚えられるようにした。

 

気づけば、お客さんと接するともっともっと偉大なコックになりたいと思うと同時に、

料理が仕事として、生活をするための手段となり、成長が止まった瞬間も体験した。

 

このままだと、私は成長しない。そう思った。

それが丁度コロナの時期の前で。コロナのときには私は変わり続ける現場と安定しない仕事量、人間関係のもつれ(いじめなど)から会社を辞めた。

 

私は出来れば履歴書に全ての経歴を書きたくない。

ただ0から教えてほしい。経験者としてではなく未経験者として入りたい。

 

明らかに求められている人物や求める自分の理想から、

自分の実力がかけ離れていて、それを埋めようと動けば、

身体のどこかが壊れ、また進もうとすれば、また壊れる。

 

そして今現在、私はいよいよフルタイムを働けなくなった。

 

当たり前に8時間働くということが、

それを続けると言うことができなくなった。

 

悔しさよりも、受けとめきれない。

 

なりたくて無職になってるんじゃない。

むしろなりたくない。アルバイトでもパートでもなりたい。

まるでその二文字が私は働く意思がないかのように私を代弁する言葉と見られているかのようだからだ。

 

働かないやつはいいよな~

 

そんな言葉を見る度に物凄く辛くなる。

 

働けるなら私が身体を代わり、

どんな過酷な環境でも働いてお金を稼いで、

当たり前に生きたい。

 

一流のコックになりたかった。

どんな過酷な環境でも休憩がなくても、

家へ帰っても趣味に費やす時間がなくても、

料理人として大成するまで、全てを投げ打ってでも、

一流になりたかった。

 

でもそれはもう叶わない、どうしようもない夢。

いや辛いけど離さないといけない夢。

 

なんでだ。定年になって、なれなかったなと回想するんではなく、

20代で。バリバリ働けるのが当たり前のこの年で、

未来への希望がなく、生きることすら困難なこんな人生、

何処が魅力的だ。生きる意味など、これで見出す方が難しくないか?

 

それでも生きなければならないのだから、

人生は果てしなく難しい。どこまで行っても、一筋縄ではいかないし、

計画していた通りにはならない。

 

もし神様が私の人生をもう作ったのだとしたら、

その意図を聞きたい。

 

どうしてこんなにも困難な人生を作り上げたのか。

 

家族の中での争いに身体を縮め、精神を病み、

必死に耐えて、誠実にやり続けても、世間は鋭く私を攻撃して、

身体と精神だけがどんどん朽ちて。

 

いつになったら、全ての呪いから解かれて、

幸せだと思える?

 

こんな人生をもし映画化されても、

ハッピーエンドにはならない。

 

それぐらい代償が大きすぎる人生。

それがまだ続くのだから、希望か絶望か。

 

わかりたくもない。

生まれ変わったらこの人生を選ぶか?

私は母にこんなことを言ったことがある。

 

「私はタイムマシーンがあっても、戻りたい過去はない。

 だって幸せだった瞬間がないから」

 

そんな悲しいこと言わないで。母はそう言った。

私は当たり前かのように言えた。朝ごはんは何?と言うようにだ。

 

後でその文字をよく考えたら、

これはとてつもない悲しさと切なさ諦めをはらんでいるものだと気づいた。

 

20代の人が過去への幸福(些細なことでいい。小学校の給食が美味しかったから戻りたいなど)がない、と断定してしまうなんて。

まるでこれからもそんな”とき”など訪れないと予言するように。

 

 

人が一生で経験できるかできないかわからない経験をたくさんした。

身体の故障。精神的な病。家族の中でのじめじめとした空気。

汚い大人たちの見栄の張り合い、悪口。いつも光が見えてはすぐに消えた毎日。

 

それを誇らしいと括れば、美談。

それを不幸だと言えば、ノンフィクションドキュメンタリー。

 

私が望むことは簡単だ。

健康的な身体。成人が当たり前に働ける身体と心。

そして家族が普通にコミュニケーションをとってくれればいい。

 

何も特別なことは望んでない。

家がお金持ちがいいだとか、天才になりたいだなんて言ってない。

 

当たり前の当たり前を叶う世の中であってほしい。

そんな人生がよかった。

 

以前ならここで辞めていたはずだ。

ブログを。

 

どう考えるかはわからない。未来の私がその都度、この物語にピリオドを打つだろう。

ただこの人生を、この不完全な私を、そして家族を、愛せるようになれば、

私は少なくとも憎しみや悲しみといった、辛い感情に支配されることなく、

わが道を進めるに違いない。

 

生まれ変わってもこの人生を選ぶ必要はない。

 

ただ、今生きているこの時間を愛せるようになってください。

海京。

抑うつ状態

数ヶ月前に、抑うつ状態と診断された。

今まで、ずっとうつだろうと思っていた。

少なくとも高校生~社会人になってからの時には自覚していた。

それがようやく医師から告げられた。

 

ようやく名前のついた病名として、

どういう状態が辛いかわかるんだと思うと嬉しかった。

 

3度目のドクターストップを喰らってから、

色々あり、わたしは就活をして内定をもらった。

次の職場では人間関係もなにもかもをうまくこなし、プライベートを充実させたい。

 

心穏やかに、そして笑いの絶えない日々にしたい。そんな私にいまは過去の想い人のことを思い出し、胸を痛めている。

 

どうかその痛みが少しずつ溶けていけば嬉しい。

 

最近は生きたいと小さくでも確かに思いはじめている。

生きたい。何としてでも夢を叶えたい。幸せになりたい。

だから生きたいと強く小さく拳を握るように願っている。

 

こんな簡単な言葉でありふれた到着点なのに、

ここに来るまで随分と遠回りをして、悩んで苦しんで辛かった。

 

でもそれさえも愛おしいものだと気づいた。

私だけの人生。私だけの人生の道。自分で築いた道のり。

 

「時として、誰も想像しないような人物が想像できない偉業を成し遂げる」

――映画 「イミテーション・ゲーム」より引用

 

私が好きな言葉の一つだ。

 

私は映画の中で言えば、脇役にも満たない人物かもしれない。

でも、目立たない私でも人生はあり、家族はいるし、

守りたい大切な友人もいる。

 

だから、私は、夢を叶えるし、

自分がにっこりと幸せな笑みを浮かべるような選択をしたい。

 

どうやって父という存在を家族という存在を整理したか

23年間ずっと家族の問題を自分の問題と思い、

悪ければ自分の罪、良ければ姉、兄、父、母の手柄だった。

 

ここまでネガティブに、堕ちたからなのか、

首をくくった過去も、世の中の家族像に全く添ってなどいない。もはや、最低で。そういうのも、姉との歪な関係も、兄との微妙な関係も、

会話すらぎこちない父との会話すら、も受け入れて、受け入れるのに凄く身体のありとあらゆるエネルギーを放出して、精神的なエネルギーすらも奪われた。

 

受け入れる最中受け入れてが最もつらい。

 

それがどれぐらい続くかわからないから。

 

でもそれがようやく一段落したのか、

今では前と同じく姉が何か攻撃をしても、

私は攻撃する前に心を丸裸にするのをやめた。素直に心を剥き出しにせず、少し警戒して距離を置き、自分に置き換えて苦しむのをやめた。

 

姉は姉。

私は私。

 

うちの家族が誰が見たっておかしいのもイカれてるのももう周知の事実で、それがつらかったけど、もう事実だから。今更壊して再構築は無理だよとどこか自分が認めたとき、最初は空しさで覆われて、悲しかった。

でもいまはどこか、それがあってよかったとは思わないけど、あらゆる感情に巡り会う長旅だったと気づいた。

 

とにかく良くない環境から

心を脱出するためは、

 

あらゆる物事を自分のことと思わないこと

自分以外は自分以外

目にしたくないネガティブな出来事とは離れること

無理に外出して辛いぐらいなら家で静養

 

身体が今すぐ実家を抜けれればすぐに解決するだろう。でも大概はそうはいかないから悩んでて。

 

最も深く辛いのは考え続けることで、

でもそれが自分にとってどんな書物よりも、

財産になる。でも、修行のような地獄だから、あまりお薦めはできないし、

何より命や身体、心が第一だから、

つらかったらそこから少しでも距離を置くということが大事だと思う。

3度目のドクターストップ

先日、ドクターストップをくらった。

 

抑うつ状態とのこと。

 

約1年間、バイトとしていまの会社で頑張ってみたものの、ここ数ヶ月身体に鞭打ち、過度な心労が祟り、こうなったのだろうと推測しているというか、それが事実だと思う。

 

親元から脱出したい。けれどフルタイムで働ける身体でもない。だからいまの状況で頑張って働く。けれどシフトが増えても労働時間が変更になり、給料が増えるどころか減り、焦る。

モチベーションをどこに置いていいかわからなくなる。がここ数ヶ月の葛藤だった。

 

会社に行く前にいくつかの薬を飲み、

身体を鼓舞するわたしは、もうボロボロだと言わんばかりで。

 

正直、薬をこんなにも飲まなければやっていけない状況がわたしにとっては、失笑してしまうほどで

 

前のお医者さんに言われた心因性めまいが今のところ抑うつ状態ということで、

明らかにうつの症状も出ているし、

拒食症に近い形も出ているしで、

ようやく自分がこうだと言える名前をつけてくれて嬉しかった。

病名をつけられるのはいいことではないけど、

心因性めまいといっても結局なに?っていつも言われてきたし、要は気持ちの問題でしょ?となっていたから。

 

とはいってもまだ23歳。

環境変えて、色々済んだら働けるだろと思ったら、まだ気持ちの浮き沈みや目眩のふらつきがあるので、数ヶ月は様子見が続きそうだ。

 

前々回、初めて20で会社をやめたとき、

もどかしいストレスから少しだけ高い靴を買ってしまったりしたので、

なるべく節約しながら、ストレスを産まない形で、心と身体をケアしようと思っている。

仕方ないとわかっていても

年を重ねても、その途中でも誰だってつらい。わかっている。そんなことはわかっている。

 

私には祖母が二人いる。

 

父方の祖母も母方の祖母も我儘だ。

自分が会いたいときだけどこにいるかも気に止めず、電話をしてすぐに来いと催促する。

 

週に1回両親が消える。

そのときだけは楽な一方で、どこかさみしい。わたしだけ全てからおいてかれてるようで。

 

ひとりで食べるご飯は美味しくない。

あなたのために、と作られたご飯さえも味がするのに、美味しくない。

 

もはや食べたくない。

 

親の視線はわたしにもあるようで、

祖母にある。

 

いつだってそうだった。

姉や兄ばかりをみていた両親。

私の優先順位は最後だった。

 

お金のことを考えなくていいなら、しばらくなにもしたくない。

ご飯も食べたくない。

ただ息を吸って、寝たい。

 

怯えて、起きたりしないで、

安眠したい。

 

でもそんなこと通用しない世の中だから。

わたしもおれもぼくも頑張ってるからがんばれっていう世の中だから。

どこまでいっても

一緒に育む愛を知ってもうすぐでは1ヶ月。

人と接する難しさを知って、数ヶ月。

価値観も立場も住んでる場所も違う。

 

自分が望んでいる通りの言葉や行動ができる人なんて地球上に自分しかいないのに求めてしまいがちな自分が嫌いだ。

 

彼女に会いたいと頑張れば頑張るほど、悪化する体調と心。もがけばもがくほどわたしはどんどん息が苦しくなる。

 

はたまたこの世界から消えたいとさえ思う。

大丈夫じゃないのに大丈夫だと言ってしまう。

 

創作するものは結局創作することでしか、

発散できないものがあると知ってから私はわかっていた事実を時差で突きつけられて苦しくなった。

 

私は多くの人と接するのが苦手なようだ。

話したい一方で、自分の個人的なゾーンに踏み込んでほしくない。

多くの視線を受けるのが得意ではないとSNSをやってから気づいた。

 

話したいときはいいけれど、それ以外は地獄で。私はつらいときつらいとそのままいっていいのか悩んでしまう。

 

乗り越えられないことは人生で起きないと言うけれど、乗り越えられない人がいない前提で話さないでほしい。

私は乗り越えられず、身体や心だけを壊し、ここまで生き延びただけ。

 

どうしたら自分がしあわせになるのかわからない。愛さえあれば全てが霞んでいても言いと思ったのに、愛を伝えてくれると、全てをモノにしたくなる。そんな欲張りなわたしが嫌いだ。

母の手作り弁当

高校生以来、食べた手作りのお弁当。

何気ないものが入ってるけど、それが凄く暖かくて、あのときはわからなかった有り難みを感じた。

母の味って受け継ぐことはできないほど尊く、

その人しか作れない味。

また作ってね。笑顔で完食します。

 

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変化の世がもたらすもの

物事の始まりはいつも不安で、

だがしかし希望に満ちている。

始めたては多少の荒らさも許してくれる。

だが、中盤になればより一層厳しい目を向けられ、自分が築いてきたものを崩しかけてしまうこともある。

 

私は、自分の両親からすれば、

まだ人生のスタートダッシュを切って、すぐなのだろうが、わたしにとってこの年はもう中盤。そろそろ安定期に入らなければいけない時期。

 

世の中の全てが中盤に見える。

いま、世間では蛙化現象という言葉が巡っているらしいが、

昔よりも、ちょっとしたことで関心を向けられなくなったり、好意を持たれていたとしてもすぐ消えてしまうような世の流れになっている気がする。

 

自分の一挙一動に、自分の印象は懸かっており、優等生でいれば、悪いところを探され、指摘され、素直でいれば、もっと隠せ、自分を抑えろと言われる世。

 

私はきっと生きる上で最も難しい生き方を繕ってしまったのだと思う。

善と悪。で分けてしまう。でもその一方でどちらにも感情移入してしまう。

全てに感情移入したら壊れてしまうのに、

世のすべての言葉や視線に傷付く。

 

所詮はメンタルが弱いという一言で人生を纏められるに違いない。

 

世は効率主義だから、手っ取り早く関係を築き、相手を知りたい。

 

自分の身体の中で巡るこの感覚は、

他の人も感じているのだろうか。

 

一石投じても、何をしても、

口を慎めと言われる世。

 

益々生きにくくなってる、

苦しくなってると思う夜。

才能があるか、ないか、ではなくて

ずっと自分を才能があるか、ないか、

AorBで物事を考えてきた。

 

だから同年代の役者さんやスポーツ選手が活躍すると嬉しい反面、自分は何者なのか探しあぐねた。

 

でもいつからか、人と比べるのをやめた。

やめたいときに簡単にやめられるものではなく、気づいたらそういう欲求を手放していた。

 

等身大の幸せを望むことにしたのだ。

 

だからもう23になる私がまだアルバイト生活でも、周りの女の子たちは恋人と幸せに過ごしたり、結婚したりしているけれど、

私は違うからと言って、卑下する必要もなくなった。

 

才能がなくてもいい。

頑張ってみるけれど、頑張って、小説家という夢が叶わなかったとしてもそれもそれでまた人生だと思う。

 

 

(そういえばパソコンの調子が悪いので治ったらタグつけます)

この世界はやはり綺麗な一面もある

一昨日、仕事終わりに一通の通知が。

友人から呼び出され、私はそのまま家に帰るか悩んだが、

夜遊びもしたことがない私にとって、

電車に揺られ、繁華街でお酒を飲むことは、

貴重な経験で、私は電車に飛び乗った。

 

が、それはいいものの、

思ったよりカラダが疲れていて、

足が棒みたいになりながら、

電車と地下鉄を乗り継いだ。

 

夜ご飯もろくに食べていなかったので、

カラオケでポテトをつまみ、

枯渇していた喉にメロンソーダをぶちこんだ。

 

その友人は去年、マッチングアプリでできた友人。

その友人の友達として紹介された人が転勤するらしく、その送別会とやら、(とはいっても飲んで話すだけで催し物はないが)をやっていた。

 

結構疲れていたみたいで、

普段しないのに電車で酔ったり、

目眩がしたり、お酒が入ってないのに

テンションがハイになったりと、

そこで初めていつもこれぐらい疲れてるんだなあと実感した。

 

地元以上の雪。チラチラ降る雪が、

ゆーっくり降りながら舞っていた。

 

繁華街は深夜になっても明るく、

地元では考えられない景色と人混みだった。

 

 

帰る頃にはもう朝の6時だった。

私は普段昼まで寝ているので、

朝日を見ることも朝の景色を見ることもそうない。

 

けど今日見た景色は全人類がもうとっくに見飽きた景色なのかもしれないが、

私には眩しく、真新しく見えた。

 

世の中思い通りにならないことばかりだけれど、それでも頑張らなきゃなあと思えた日だった。

私は人生最短距離ではいかないと誓った

物事を振り返るときに、よくもっとこうすれば効率的だったのに、と

余白の時間を無駄だと考えてしまうのは自然なことだろう。

 

でもその余白が人生の味を出し、

考えを深め、達成したことよりも考え深くなるのは、

その余白の可能性が無限大だからだ。

 

私が高校生のとき、大阪にある辻調理師学校に行って居たら。

フランスへ留学していたら。

 

今は違ったかもしれない。

もしかしたら有名料理店で腕を磨いていたかも。

恋人も東京も居たかも。

 

でも、私は今を選んだ。

後悔はない。でもあの時こうしていれば、と考えることもまた余白だろう。

 

今を選んだから、遠回りでも、

幸せを掴むことができている。

 

月に12万ものお金を握りしめることはできていないけれど、

お金以上の幸せや生活の尊さを感じられている今、

私は世界一の幸せ者だと思う。

整然としたと似合う人や部屋や人生ではないだろう

ブログを書かなきゃと思って、

新年のあいさつをしてから、もう2週間ほど。

ようやく書きたいことが浮かんできた。

 

書こうとしたその時、”整然とした”というワードが広がった。

意味は、きちんとして正しく整っているさまだそうだ。

 

私の部屋も人生も人柄もそれとは程遠い。

姉の新築の賃貸の部屋の方がよっぽど綺麗だ。

色んな文化やモノの時代が棲みつく実家は

まるで私や私たちの人生を体現しているかのようだ。

 

22歳、小太り、性別女、だけど、ボーイッシュ、

イケメンになりたいけど、鳴り損ねた人物、

アルバイト生活、フリーター、週3、休日週4日

趣味は映画、小説を書くこと、毎日3~4杯、カフェオレとカフェラテを飲むこと

恋人はなし。昨年出逢ったボイの女の子とはもう話せない。

熱烈な恋もひっくり返った。

 

悲劇と言えば悲劇の人生。

ただそれを書くことができる才能の芽があったことは喜劇の人生。

あとどうするかは自分次第。

 

いっそのことこの全部のコンプレックスを逆さに取り、

あっけらかんとした顔でたたずんでみようか。

意外と怖かった人生という大きな文字が、

ちっぽけなものに見えるかもしれない。

 

誇大妄想をしているのかもしれない。

常に最悪のシナリオを想像し尽くしてきた私の辿り着く道は、

哀しい始まりだけではないかもしれない。

 

この窮屈な月給6,7万の生活。多すぎる休日の中での、唯一の安らぎ。

映画鑑賞。それを思う存分味わいながら、屈辱を舐めながら、

また心の平穏を取り戻そうか。

 

幸せとは満ちている気持ちで、

物をたくさん持っていることでも、知識に満ちているわけでもなく、

自分が自分だとちょっと誇らしく浸れることかもしれない。