一流になれなかった人生
今の時代、料理人がフランスやイタリアで修業していた人は少なくない。
むしろ時代が進むとともに増えてきた。
そんな話を聞いたりする中で私は都会でも田舎でもないような場所で育ち、
料理とはそれほど遠くなくでも近くない環境で育ち、
フレンチとはかけ離れた生活をした。
その中でかっこいい料理人を何人も見てきて、こうなりたいと思った。
でもそうなるにはどうしたらいいか、わからなかったし、
そもそも相談することなのかも、そもそも相談という単語すら浮かばなかった。
その日にある仕込みや料理を調べて、
抜き打ちテストのように聞かれる料理に対しての知識をその場だけでも覚えられるようにした。
気づけば、お客さんと接するともっともっと偉大なコックになりたいと思うと同時に、
料理が仕事として、生活をするための手段となり、成長が止まった瞬間も体験した。
このままだと、私は成長しない。そう思った。
それが丁度コロナの時期の前で。コロナのときには私は変わり続ける現場と安定しない仕事量、人間関係のもつれ(いじめなど)から会社を辞めた。
私は出来れば履歴書に全ての経歴を書きたくない。
ただ0から教えてほしい。経験者としてではなく未経験者として入りたい。
明らかに求められている人物や求める自分の理想から、
自分の実力がかけ離れていて、それを埋めようと動けば、
身体のどこかが壊れ、また進もうとすれば、また壊れる。
そして今現在、私はいよいよフルタイムを働けなくなった。
当たり前に8時間働くということが、
それを続けると言うことができなくなった。
悔しさよりも、受けとめきれない。
なりたくて無職になってるんじゃない。
むしろなりたくない。アルバイトでもパートでもなりたい。
まるでその二文字が私は働く意思がないかのように私を代弁する言葉と見られているかのようだからだ。
働かないやつはいいよな~
そんな言葉を見る度に物凄く辛くなる。
働けるなら私が身体を代わり、
どんな過酷な環境でも働いてお金を稼いで、
当たり前に生きたい。
一流のコックになりたかった。
どんな過酷な環境でも休憩がなくても、
家へ帰っても趣味に費やす時間がなくても、
料理人として大成するまで、全てを投げ打ってでも、
一流になりたかった。
でもそれはもう叶わない、どうしようもない夢。
いや辛いけど離さないといけない夢。
なんでだ。定年になって、なれなかったなと回想するんではなく、
20代で。バリバリ働けるのが当たり前のこの年で、
未来への希望がなく、生きることすら困難なこんな人生、
何処が魅力的だ。生きる意味など、これで見出す方が難しくないか?
それでも生きなければならないのだから、
人生は果てしなく難しい。どこまで行っても、一筋縄ではいかないし、
計画していた通りにはならない。
もし神様が私の人生をもう作ったのだとしたら、
その意図を聞きたい。
どうしてこんなにも困難な人生を作り上げたのか。
家族の中での争いに身体を縮め、精神を病み、
必死に耐えて、誠実にやり続けても、世間は鋭く私を攻撃して、
身体と精神だけがどんどん朽ちて。
いつになったら、全ての呪いから解かれて、
幸せだと思える?
こんな人生をもし映画化されても、
ハッピーエンドにはならない。
それぐらい代償が大きすぎる人生。
それがまだ続くのだから、希望か絶望か。
わかりたくもない。