私は母にこんなことを言ったことがある。
「私はタイムマシーンがあっても、戻りたい過去はない。
だって幸せだった瞬間がないから」
そんな悲しいこと言わないで。母はそう言った。
私は当たり前かのように言えた。朝ごはんは何?と言うようにだ。
後でその文字をよく考えたら、
これはとてつもない悲しさと切なさ諦めをはらんでいるものだと気づいた。
20代の人が過去への幸福(些細なことでいい。小学校の給食が美味しかったから戻りたいなど)がない、と断定してしまうなんて。
まるでこれからもそんな”とき”など訪れないと予言するように。
人が一生で経験できるかできないかわからない経験をたくさんした。
身体の故障。精神的な病。家族の中でのじめじめとした空気。
汚い大人たちの見栄の張り合い、悪口。いつも光が見えてはすぐに消えた毎日。
それを誇らしいと括れば、美談。
それを不幸だと言えば、ノンフィクションドキュメンタリー。
私が望むことは簡単だ。
健康的な身体。成人が当たり前に働ける身体と心。
そして家族が普通にコミュニケーションをとってくれればいい。
何も特別なことは望んでない。
家がお金持ちがいいだとか、天才になりたいだなんて言ってない。
当たり前の当たり前を叶う世の中であってほしい。
そんな人生がよかった。
以前ならここで辞めていたはずだ。
ブログを。
どう考えるかはわからない。未来の私がその都度、この物語にピリオドを打つだろう。
ただこの人生を、この不完全な私を、そして家族を、愛せるようになれば、
私は少なくとも憎しみや悲しみといった、辛い感情に支配されることなく、
わが道を進めるに違いない。
生まれ変わってもこの人生を選ぶ必要はない。
ただ、今生きているこの時間を愛せるようになってください。
海京。