晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

おとう

おとうとは男の人が「親父」と呼ぶのと同じ感じで呼ぶ名称だ。

お父さんとも呼ぶし、おとうとも呼ぶ。

 

だが人前では、お父さんとか父親とかはたまたおとうとか、

定まっていないのが私だ。

 

娘は父親との距離感を掴めないとよく聞くが、

私もその中の一人だ。

 

うちの父は、分かりやすく言えば昭和の頑固親父。

家で母ときちんと会話しないことも多い。

 

「ごはん食べるの?」「明日の仕事何時?」

 

こういう問いについて無視することも多い。

 

ご飯の件に関して言えば、

「食べる」という意味でもあるし、「まだ食べない」という意味であることも。

 

私はやはり父の血を継いでいるんだろう。

曖昧さが似ている。

 

日頃から父が、母の問いに答えないのは、

慣れているようで、何処かで違和感を感じ、

少し不快になりながら生きている。

 

きっと、ほっといてくれ。という意味だとは思う。

 

でも父は意外と寂しがり屋だから。

自分が答えないことで、優位に立ちたいのかもしれない。

 

車の運転も荒いし、怒ると怖いし、

すぐ不機嫌になる父だけど、意外と繊細で傷つきやすく、

自分の痛みを中々打ち明けない。

 

うちの家族は、それぞれに痛みを抱えている。

けれど、家族同士で打ち明け合ったことはあまりない。

 

たまにその歯車がピタリとハマった時だけ、

その本音を聞くことが出来る。

 

聞けば、少し嬉しい。

けれど、何処かで「私の痛みは言わないでおこう」とも思う。

 

負担を掛けたくない。

親不孝な娘だから。

せめて、それだけでも親孝行な娘で居たいから。

 

おとうのことが好きかと聞かれれば、

「好き」とは言えない。寂しい回答になるけれど。

 

でも、「幸せになってほしい」とは思う。

本当は良い人なのに。すぐ不機嫌になるし、自分の意見が通らないと不貞腐れるけど。

心を許した人の前では、たまにだけど、ニコニコと笑うのに。

 

その顔は、私が好きなおとうの顔だ。

 

 

 

 

お世辞と本音が見分けられなかった

社会に出て、お世辞を知った。その中で、思ってもないけれど、

一応場を保つために言うという行動を知った。

 

「偉いね」と褒められれば、「そう思ってもらってるんだ」と思ったし、

「結婚願望なんてないよー」と言うと、「そういう人に限って結婚早いんだよ!」

と言った高校の同級生はもう結婚しているんだろうか。

 

一昨年に1人、そして去年、誕生日を迎えた同級生の名前が変わっていて、

一瞬誰か戸惑ったが、それは結婚による苗字の変化だった。

 

「あ、結婚したんだ」

 

私は何処かで寂しくなった。「おめでとう」と第一声で言うべき。

心でも祝うべきなのに。途端に寂しさが胸に広がった。

 

私は7つか6つ離れた姉が居る。

(母が7つと言ったり6つと言うので曖昧な表記になる)

 

その姉が結婚すると今の旦那さんと、家に挨拶に来た時、

私は空しさと共に「誰だよ」と内心矛先を向けてしまった。

 

そこからしばらくは好きになれなかった。

仲良くない姉だけど、それでも私の唯一の姉だから。

兄もいるけれど、性別は違うし。

 

それから少しずつ旦那さんが本当に姉が好きで、

幸せにしたいと思っていることを感じて、

その空しさとは完全的にではないけど、サヨナラした。

 

ほぼ毎度私は言った。

「姉のこと幸せにしてください」

 

私たちは、決して平坦な道で育ったわけじゃないから。

周りと違う普通を抱えて生きてきたから。

家族それぞれ辛い思いをしたけど、一番辛かったのは姉だろうから。

 

と、思いながらも何処か、

先に家を出て、幸せになった姉に矛先を向けてしまう自分が好きじゃない。

 

私はまだ、家という制限のある中で生きてる。

私はまだ、この苦しい過去と現在が混ざり合った世界で、生きてる。

 

普通とか普通じゃないとか

日常生活で、よく普通とか普通じゃないとか

たくさん聞いてきた。

 

何時からだろう。

自分の中でピキピキと音が鳴り始めた。

 

それは、

「私ってどっち?」という疑問から生まれた、

「あれ普通じゃないかも」という答えだった。

 

思う節はたくさんある。

 

小学生の時、

小説家になりたいと友人に打ち明けたら、

「そんなの無理だよ」と言われ、

「どうして未来が見えないのに決めつけるの?」と思ったし、

 

親戚が集まり、賑やかになった後、

誰かが誰かの悪口を言い、

それに賛同する大人たち。

 

その二面性が理解できず、

「どうして悪く言うの?」と言ったと思う。

 

そうしたら、

「悪口とかそういうのじゃないのよ」と言った。

どう考えても悪口だった。

 

正しさや普通を求める大人が、

そうなっていないことに対して、何で押し付けるんだろうと思った。

 

けれど、それを言ったら、

「まだ子供だから」「海京は口出さないで」と言った。

 

そして、それから私は大人になった。

20代になった。

 

それでも未だに

「こっちの話に入ってこないで」と言われる。

 

大人になれば、

大人の世界に入れると思ったのに、

急いで、18で就職という道を選択して、

働いて、お金を稼いで、

コツコツ貯金をして、やっと築いた地位を、

姉や大人は一瞬にして、蹴とばした。

 

普通とか普通じゃないとか古いよねーという

風潮が世の中にあるにも関わらず、

どうして未だに「普通」と「普通じゃない」

ラインで苦しんでいる人が居るのだろうか。

 

当たり前だと言われても、

「うんそうだね」とは言えない、

 

何十億人の中のちっぽけな人間が

ここに存在している。