晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になりながらも、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

これを言うのはきっと我が儘?

私は実家暮らしで、21年間ずっとこのうちに生きてきた。

17歳まで父さんのお金で育ってきた。

18以降も、成人式の着物代に前撮り等、大金を出してもらった。

 

そして、20歳。会社を辞め、

それから数か月後、生活費を出せなくなった。

 

老後に年間で100万ほど貰えるように入った保険や、

携帯代、病院代など、自分の貯金から出していた。

 

でもいつの間にか、自分の貯金に底が見え始め、

一旦ストップし、毎月親に5万借り、

どうしても足りなければその都度借りるという仕組みを導入させてもらった。

 

そんな今、私は親への借りたお金が30万ほどある。

私はそれを早く返さなければならない。いや人として当たり前。

それはそうなのだが、それ以外にも理由がある。

 

父さんは今年、会社を定年退職後、

また再雇用をしてもらった。

その退職金で新車を買ったのだ。

 

数百万そこに充てたと思ったら、

新車の前の車への不備に20万ほども充てた。

 

母は、老後の資金に充てようとしていた計画が総崩れになった。

それでなくとも、娘は働けず病に侵されて、お金を渡さなければいけないというのに、

旦那は車は買ってしまうのだから、母の心には相当な負荷が掛かったに違いない。

 

だから私は、早くそのお金は返さなければならない。

できれば一気に10万、15万と返したい。

 

ドンッと返ってくれば、何かと楽だろうし、

安心するに違いないからだ。

 

正直言って、10万なら返せる。

貯金が10万ほどあるからだ。

 

でもそれを全て返した時、

私は逃げ場を失い、たぶんまた死を選ぼうとする。

 

今も苦境の地に立たされている。

 

 

早く働かなければならない。

社会的にも労働力として復帰しなければならない。

そして、お金も稼いで、早く自立しなければならない。

 

それに、早く元気になった姿を、

仮にでも見せねばならない。

 

そんな”ならない”ことが全て私を苦しめている。

 

余りの辛さに、これほどの苦しみをどう表現していいか分からない。

 

死を選びたい。

 

けれど、選んだら、

この前、会った先生と「とりあえず生きていこうと決めました」と

交わした言葉が嘘になってしまう。先生にも負荷が掛かる。傷つける。

家族をも蝕む存在になってしまう。

 

私は誰かを傷つけるために死を選びたいわけではない。

もう全てが辛いから。もう逃げ場もないから。

 

これが甘えだと言われたら、

私はもう絶句する。

 

でも世間はそれほど甘くはないから、

目眩があっても働けと言われそうだし、

不眠症であっても気合で眠れ!と言われそうだし、

 

怖い。

 

自分に向かってくるものは全て刃に見えてくる。

これを打ち明けられる人もそう居ない。

 

私は孤独だ。

 

何度も過った死。

本当に近づいてくると、その足音というか気配を感じるようになる。

私は今、感じている。これはまずいと危惧している。

 

だからどうにか避けるために、

こうやって世界の片隅で叫んでいる。

 

これがどうにか抑止力になるように。

 

未来で「どうしようもない苦しみと辛さと哀しみが私を覆ったけれど、

今は幸せです」と言えるように生きなければならない。

 

果たして、そんな未来が存在するのだろうか。