晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

いろんなことをさせてくれてありがとう

最近、手話を覚え始めた。

 

最近、仲良くなった子が、

耳が聞こえにくくて、手話を使った方が、

雑踏の中でも聞こえると気づいて、

少しずつ教えてもらってるし、自分でも調べてる。

 

今、放送されてるsilentのドラマの手話を使うシーンも

じーっと見て、なるべく覚えるようにしている。

 

その子のためにやってる、というよりかは、

私がもっと話したいから、私が手話を覚えることで、

もっと楽しい空間になるなら、是非とも!という形で覚えている。

 

私が「会いたいなあ」って言ったら、

翌日電車飛び乗ってきたり、急に仕事終わりに飲みにいかない?とか、

そういうのが理想だったから、とても幸せ。

 

私はその子が聞こえないことに対して、

まったく同じ経験をしていないから「わかる」とは言えない。

 

でもお母さんが脳梗塞で倒れて、

辛そうに過ごしてる姿を間近で見てきて、

「可哀想な人」という目線も言葉もたくさんもらってきたから、

そんな曖昧なことは言わないけど、

 

「分かる努力」はできるから。

こちら側が、冷やかしとかふざけて聞いてるわけじゃなければ、

相手は「ああ、ちゃんと理解してくれようとしてくれてるかも」って思えるし。

 

勿論、聞いていいことと悪いことはあるから、

何でも根堀り葉堀り聞かないけど、

私で良ければ、色んなことを聞くことはできるから。

 

私は、自分の家庭環境に生まれてよかったなんて思ったことは一度もない。

だって、すごく、すごく辛くて、居場所がないから。

 

でもお母さんが、辛そうに歩いている姿を間近で見て、

一緒に生きてきたから、その気持ちを理解しようとできる事実があることには

「ああ、そうなんだ」と肯定せざるを得ない。

 

私も高校3年生の頃、目眩で身体が動かなくなった時、

同級生から可哀想とか同情される眼差しで見られた時、

私を人として見てくれてる気がしなかった。

 

可哀想なモノとして見られてる気がして、

疎外感を感じたのを覚えてる。

 

きっと相手はそういうつもりはないと思う。

悪気はないと思う。

 

でも悪気がない視線や言葉の方が、

人を何倍も傷つけると知ってから、

私は言葉を出すのが怖くなったときもあった。

 

 

私は彼女の全てを理解してあげられない。

でもその努力はする。

 

これからはお互いに、笑って、

お酒飲んで、美味しいモノ食べて、煙草吸って、

走って、歩いて、バッティングしたり、

ボウリングしたり、楽しいことしよう。

 

一緒に思い出作っていこうね。

 

と心の中で筆をしたためています。