私は、お金に急かされるような生き方をしているのだろうか
18歳で準社員として就職して、
20歳で退職後、21歳でアルバイトとして働き、
先日、体調不良を理由に辞めた。
給料を稼げないということは、
いつまでこのお金で暮らしていけるかと考えてしまう。
実家暮らしだから、最悪親に借りればいい。という発想もある。
でももう20すぎの良いオトナが親に迷惑をかけるわけには――という理由の裏に、
頼りたくない、という反抗心が隠れている。
私はずっとDIYできる人が羨ましくて、
いつかやりたいと思っていた。
高校時代、演劇部だった私は、
裏方でモノを作るときに、板をのこぎりで真っすぐに切れなかったり、
小道具をうまく作れず、不器用だから、と仕事をできなかったりした。
勿論、その言葉は自分の中で呪いのようにまとわりついてしまって、
”私はできない”と思い込んでいた。
ところが、お金が無くなり、
中々買うのも躊躇するようになってから、
如何に今あるもので欲しいモノを生み出すか考えるようになった。
ここ数か月皮膚科で貰う薬を収納するものが欲しいと思っていたが、
中々買いに行けず、つい数日前にこんなものを作った。
ポッキーの大袋の中に入っている、紙BOXを切り取り作った。
左角を見れば私の不器用さがうかがえるだろう笑
でもポッキーの赤い可愛さのお陰で、
その不器用さすら甘いものになっている気がする。
個人的には作れたことと欲しいモノを生み出せたことに幸福感を得ている。
だが一方で、こんなのは貧乏くさいという人がいるだろう。
それに対して私は誇らしく、「こんな生き方でもいいじゃないか!」と胸を張れない。
自分の人生に自信がないのだ。
お金がない私がみすぼらしいようで、
18の頃の私が見たら、今の私を幻滅していないか、
よく過去の自分を振り返る。
いつか困ったときのために、とせっせと働き貯めたお金は、
退職後の生活費でほとんど無くなってしまった。
それは過去の私に対する侮辱に値するんじゃないか、と怯えている。
よくネットで見かけるのは、
「お金にそんなに価値はない。固執するな」
勿論、お金が全てではないし、
物を買うことだけが、心を豊かにするものでもない。
でも、お金自体をそこまで否定するのも、
お金が悪になってしまっているんじゃないか?
と、人間じゃない物にさえ感情移入してしまう私は
やっぱりおかしいのだろうか。