晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

今年はどうなるか

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

さて、昨年から書いていた短編小説が少し落ち着きました。

ここからゆっくりいい文章にしたいなあと思います。

 

調理師免許は受かったわけですが、

2月の坊ちゃん賞が通るかどうかで人生変わるな、と思います。

 

例年と比べて今年は、

姉夫婦との食事に私、両親、兄が同席したわけですが、

姉と兄はそれほどいざこざがなかったので、ちょっと安心しました。

 

さて、今年の3月で23歳になるのですが、

去年まで25まではバイト生活で修業するぞ!なんて料理への情熱が絶えなかったことが

多かったのですが、

最近は切り詰めた生活への疲れから、早く正社員になりたい

でも働く時間が短い方がいい、などと支離滅裂なことを考え出しているので、

頭を抱えています。

 

今年は、Wワークをして、

収入を少し安定させ、貯金するとともに、

旅行をしたり、私生活も充実させたいな、と思っています。

 

マイペースな更新にはなりますが、

よろしくお願いします。

相変わらずな自分

今年も残すところあと2週間。

年末の出費を抑えるためか、日に日にお客さんがこない。

 

あれから私はまだ辛さを抱えている。

手話をどんどん覚えていくのに、使う相手がいない。寂しいジレンマを抱えている。

あれだけ見れなかった映画も見れるようになって、

少しずつ自分の時間が戻って来たと思えば、また思い出し辛くなる。

次の恋に進めれば楽になのに、と思いながら、立ち止まっている。

 

仲の良い友達に彼女ができた。初めての彼女。

嬉しさよりも置いて行かれたな……という気持ちの方が正直強く、

自分の心の狭さに驚く。

 

 

そういえば今日来ていた緑のトレーナーに白髪がついていた。

その時、白髪まじりのお客さんに接客したときについたのか、まさか自分!?

若白髪!?なんて思ったりする今日この頃だった。

 

あ、やっぱり、ポジティブなこと書くの下手なんだなぁ、なんて

 

自分って何だろう。

あれから一週間。

少しずつなんとも言い表せられなかった感情に名前がついた。

 

お互いに、言葉にしなかった、できなかったことを、

伝えてなかった。それ故に心に溝ができた。

 

お互いにキライじゃない、からこそ、

相手は気まずいのだと思う。

 

私は自分の身の上話で抵抗して話さないことはあまりない。

故に、人からよく色んな話をされる。

 

それから起こるのは、私が苦しい時に吸い寄せてしまうパワーを

強制的に分かち合おうとしているところがまずいのだ。

 

自分で書いていても何とおぞましいと思う。

 

私は頼り方を知らないのだと思う。

0か100かだから。

 

頼ると決めれば、とことん甘えてしまう

心を閉ざすと決めれたら、とことん開かない。

私は人としての初歩的なところが抜け落ちたまま、

年齢から求められる内面の外見だけを繕って生きてきたのかもしれない。

 

所詮、良い人から外れたら、

自分に価値などないと思っているからこそだろう。

 

少しずつ変わっていることは確か。

だけど一気に変われないことで失うものがあるとすれば、

こんなに悩ましいことは無い。

何してるんだろう

色々あって、本当はあのこにお別れを告げることができないはずだったのだけれど、

友達の計らいで、最後に会うことができた。

 

いままで出逢った中で

一番愛おしくて、一番、努力した。

 

地元に戻って自分のすきな場所にいっても

あのことの思い出ばかりで、

栄養ドリンクが安い~ってはしゃいでたあのこに買ってあげた自販機。

 

野球がすきな私たちにはもってこいのバッティングセンター。

肩が痛いと途中でピッチングを交代させられたね。

 

最後に言った言葉。

涙がもう零れ落ちそうだったけど堪えた。

 

そして離れづらそうにしているあのこに、

行くんだと伝えて、

離れた瞬間、近くにあった柱をおでこにつけ、

泣いた。

 

雑踏の中で静かに泣いた。

ずっと泣いていたかった。一目も憚らず泣いていたかった。

でも、これじゃだめだと涙を止めた。

 

けれど、いまもなお、

心の奥に涙が残っている。

 

その涙は心のしこりとなっていく。

 

私はこの恋でまた学びも得た。

けれどそれと同時に、本来の自分を受け入れる人はそう居ないと分かった今。

 

私は道化師でいるしかないのかもしれない。

 

もし縁があったら、

何年後かして、お互いに幸せで居たとき、

またお互いに好きな珈琲を飲みに行こう。

 

今度は手話上達していると思うから。

思う存分話そう。

恋というやつは……

わかっているのに。
あなたが今日来れないことは。
わかっていたのに、どうして、
尚期待してしまうのだろう。

コロナになってしまったんだもの
辛いのは貴方なのに、
どうして、労ってあげてるようで
会えなかった悔しさに溺れるんだろう。

あなたが好きな人を諦めるまで待つだなんて思っていたのに、
どうして心は早く関係を動かしたいと急かすのだろう。

恋はどうして人を冷静じゃなくさせるのか。

 

いつもの自分のままで存在したいのに。

あなたと会うときは笑って、誰よりも心開いているのに、

どうして離れていると不安になるのだろう。

どうして、恋というやつは人を七変化させるのだろう。

 

それが良いのか。悪いのか。

私にはまだ分からない。 

恋は火車のように止まらない

恋をしていると、胸がわくわくする。

と、同時に針でツンツンされるように苦しい。

 

恋をしていないときは平常心なのに、

好きな人を目前にすると、どうして理性というやつは

全然役に立たないのだろう。

 

一方は、あのこに気になってる人がいるということを知っても尚、

追いかけられるのに、

もう一方は、早くこっちへ向いて、

恋人になりたいという想いが日を増すごとに馬車馬のように止まることを知らない。

 

片想いなんぞ、すぐに諦められるものではない、というのは

経験上にも統計上にもすぐにわかることなのに、

どうして、早く叶えたいと押し付けてしまうのだろう。

 

恋をすると、どうして、

自分のあった趣味で、自分の時間を過ごせず、

四苦八苦するのだろう。

 

恋というやつは厄介だ。

 

好きだから待てる。ようで、

そこまで紳士じゃないらしい。

 

あのこの大好きなプラネタリムを一緒に観たい。

映画を観たい。できれば、手を繋いで。

もっと頻繁に会いたい。

 

まだ出逢って1か月というのに、

どうして焦ってばかりなのだろう。

 

それは今まで叶いそうで叶わなかった恋の過去への

恐怖なのか。

 

少し距離を置きたい。

でも私はそれで縁が切れてしまいそうで怖い。

 

どうしたら自然体な自分のまま、

彼女の前に居られるだろうか。

 

我が儘な私の欲求を抑えられるだろうか。

一人で吸うたばこは美味しくないからさ

好きな人であり、友人でもあるあのこが、

コロナに罹ってしまった。

 

第8波というやつが、

私の大切な友人も飲食業界さえも蝕んでいく。

 

観光客が減り、店の売り上げが減り、

私を含めた従業員もまいにちのモチベーションが下がっている。

 

コロナによって閉めざるを得なくなったお店が

地元でもたくさんあった。

 

いつも笑って楽しそうにしている彼女が、

今、高熱で苦しんでいるんではないか、と想像すると、

胸が苦しい。

 

早く治ってほしいな。

 

今度打つ、4回目のワクチンの副作用、

代わりに私が苦しんでいいから、

早く元通りにご飯食べれるようになってさ、

一緒にたばこ吸って、お酒飲もうよ。

 

会うはずだった日に、

渡すはずだった誕生日プレゼントを持って待ってるよ。

 

来月、会えたらいいね。

 

もし早く回復したら、

今月会いたいけれど、それは私の勝手な我が儘だから、

胸にしまっておくよ。

 

貴方に会えない間、

手話の勉強をして、今度会った時、

驚かせてみせるよ。

 

もっと手話をできるようになりたい。

だから、頑張ってみよう!

私はどこに居る?

マジメだとか優等生だとか、

そんな看板をずっと背負ってきている気がする。

 

それを引きはがしたときの

醜い自分を見たくないから、

いつまでも演じているのだろうか。

 

自分が辛い時に支えてくれるであろう、

家族や友人が居ない人生は、

どうしたってつらくて。

 

私はどこにいる?

好きな人の結婚相手になりたかった

女だから、同性同士だから結婚できないわけじゃないってわかってる。

でも、男だったら結婚を意識されるのに、

同性同士だったら、意識されることが少ない。

 

だから時々、男として付き合いたいと思う時がある。

 

「お父さんみたいな結婚したかった」

 

とあのこが不意に言った時、

普通の言葉なのに、私には難しいことだな、と思った。

 

その時、無性に切なくなる。

こんな悩みを誰に打ち明けられるだろう。

 

結婚して子供産んで、

家庭を築く。そんな当たり前の結婚像を心の奥底で願望し、

渇望し続けている。

1年で1番幸せな日なのに

1年で1番幸せな日になった途端、

私はあの子に作ったケーキの写真を送って、

ハッピーバースデーの手話をした動画を送った。

 

あの子は、今日が誕生日だと意識してなくて、

マッチングアプリで人と会う約束をしてた。

 

でも、バックられ、メッセージもブロックされ、

少し落ち込んでいた。

 

私もそういう経験に近いことはあるから、

とても心配になり、仕事終わりに電車に飛び乗り、

顔を見に行こうとした。

 

でも彼女は「今は誰にも会いたくない」と言った。

 

私は「いつでも電話しておいで。家にいるから」と告げ、

数時間待ち、私は、居ても経っても居られず、

彼女が思わず「こいつなにやってんのかな」と微笑んでもらえるように、

動画を作った。

 

手話で大丈夫?と聞いた後、

ダイジョウブじゃないよね。と言って。

 

待ってねと言って、

作ったケーキを見せて、

彼女の名前を書いたプレートをつけて、

ろうそくを3本立てて、火をつけて、

ハッピーバースデーを歌って、代わりに火を消した。

 

そして、彼女の代わりに食べた。

 

私にはそんな動画を送るしかできない。

 

貴方がいま、自分の声も顔も見てほしくないなら、

私が顔を見せて、少しでも良い日になるようにしたかった。

 

ごめんね。私たちはまだ出逢って1か月。

何も貴方のこと分かってあげられてないと思う。

辛い過去も、楽しかった思い出も知らないと思う。

 

私にできるのは、できるだけ貴方と会話をして、

思い出を作ること。

 

きっと私の想いなど私が思っている以上に伝わってない。

それも分かってる。

 

でも今日はさ、我が儘になって、

泣きついてもいいんだよ。

 

私じゃなくていい。信頼できる友人に、

愚痴を言ってもいいから。

 

22歳の始まりを笑顔で塗りかえてほしい。

 

2週間は会えないけど、

次会った時は、また笑い合おう。映画を観よう。

美味しいモノを食べて、飲もう。

一緒に煙草を吸おう。

 

そうやって、生きてゆこう?

 

いろんなことをさせてくれてありがとう

最近、手話を覚え始めた。

 

最近、仲良くなった子が、

耳が聞こえにくくて、手話を使った方が、

雑踏の中でも聞こえると気づいて、

少しずつ教えてもらってるし、自分でも調べてる。

 

今、放送されてるsilentのドラマの手話を使うシーンも

じーっと見て、なるべく覚えるようにしている。

 

その子のためにやってる、というよりかは、

私がもっと話したいから、私が手話を覚えることで、

もっと楽しい空間になるなら、是非とも!という形で覚えている。

 

私が「会いたいなあ」って言ったら、

翌日電車飛び乗ってきたり、急に仕事終わりに飲みにいかない?とか、

そういうのが理想だったから、とても幸せ。

 

私はその子が聞こえないことに対して、

まったく同じ経験をしていないから「わかる」とは言えない。

 

でもお母さんが脳梗塞で倒れて、

辛そうに過ごしてる姿を間近で見てきて、

「可哀想な人」という目線も言葉もたくさんもらってきたから、

そんな曖昧なことは言わないけど、

 

「分かる努力」はできるから。

こちら側が、冷やかしとかふざけて聞いてるわけじゃなければ、

相手は「ああ、ちゃんと理解してくれようとしてくれてるかも」って思えるし。

 

勿論、聞いていいことと悪いことはあるから、

何でも根堀り葉堀り聞かないけど、

私で良ければ、色んなことを聞くことはできるから。

 

私は、自分の家庭環境に生まれてよかったなんて思ったことは一度もない。

だって、すごく、すごく辛くて、居場所がないから。

 

でもお母さんが、辛そうに歩いている姿を間近で見て、

一緒に生きてきたから、その気持ちを理解しようとできる事実があることには

「ああ、そうなんだ」と肯定せざるを得ない。

 

私も高校3年生の頃、目眩で身体が動かなくなった時、

同級生から可哀想とか同情される眼差しで見られた時、

私を人として見てくれてる気がしなかった。

 

可哀想なモノとして見られてる気がして、

疎外感を感じたのを覚えてる。

 

きっと相手はそういうつもりはないと思う。

悪気はないと思う。

 

でも悪気がない視線や言葉の方が、

人を何倍も傷つけると知ってから、

私は言葉を出すのが怖くなったときもあった。

 

 

私は彼女の全てを理解してあげられない。

でもその努力はする。

 

これからはお互いに、笑って、

お酒飲んで、美味しいモノ食べて、煙草吸って、

走って、歩いて、バッティングしたり、

ボウリングしたり、楽しいことしよう。

 

一緒に思い出作っていこうね。

 

と心の中で筆をしたためています。

それが真実だとわかったとき、人はほろ崩れる

結婚。出産。

 

この言葉は、女として産まれた私が、

避けて通ることのできない言葉だった。

 

でも私は「結婚願望ないし」「私の血筋引いたら、子供は苦労するから」なんて言って、その場をしのいできた。

 

私は時々、LGBTQの映画を観る。

映画に自分と同じような境遇や立場のキャラクターが居ると、

私が存在してもいいことの証明な気がして、

ひたすらそのキャラが主人公、あるいは友人として出る、

そういう映画を観るときもある。

 

ただ単に、共感したいだけかと思った。

 

でも泣き腫らした今思う。

 

何気なく生きている日常で、

人は何かを削られ続けている状況で、

笑い、喜び、喜や楽の感情を貼りつけて、

怒哀の感情を押し殺しながら生きている。

 

そのうえで、

私は、女の子が好きだということで、

特段、傷ついたことはないと思っていた。

 

確かに否定されたりはしてきた。

でもそれはほんのかすり傷だと思った。

 

けれど、それは確かな傷跡になり、

時々謎に痛む火傷跡のような形として、

心臓に刻まれていることに今日気づいた。

 

「いずれ女の子とこの先もと、思うなら、

 言わなきゃね」と兄は言った。

 

そして兄はこうも言った。

 

「性転換した人もいるし、困ったら言って」

 

それはつまり、唯一言ってない父へのカミングアウトへの背中押しを意味していて、

周りから見れば親切心だと思うけれど、

私からすれば、”恐怖と強制”を感じた。

 

父は私に「お前は普通で居てくれ」とボソッとある日言った。

 

あれ以来、私は「普通だ」と演じることを決めた気がする。

 

女の子が好きだと分かっていても、

心の中で認めなかった。

 

ボーイッシュな格好をしてしまう自分を

嫌悪感で包んで、どうにかしようとした。

 

今は寛容な時代だとみんな口を揃えて言うけれど、

それはみんなが無関心になっただけであって、

思ったよりも時代は、法律は、進んでない。

 

私は女の子と結婚をして、

子供を育てたいと意思が、私の目の前に立ちはだかった時、

見て見ぬふりをしようとしたのに、

できなかった。

 

兄は、女の子が好きで、

普通に結婚して、それは祝福される結婚。

 

でも私の場合は、

親にカミングアウトして、それをまず理解してもらってから、

相手を見てもらって、了承を得ないといけない。

 

必ずしも、了承するとも限らないし、

周りの目が全てポジティブな方向に動くとも限らない。

 

私は普通の兄に嫉妬したんだと思う。

 

自分の性自認も曖昧で、

探し求めても、どれが私かなんて、

そんな方程式はなくて。

 

途方もなく、ゴールもなく、

戻ることもできない道。

 

何度も考えた。

中性なのか、女の子の中でのボーイッシュなのか、

性別を変えたいのか。

 

でもわからない。

気分によって変わったり、場所によって、

「男の子だったらこうできたのに」

「女の子だからこうできている」と思えてくるから。

 

曖昧すぎる全てが私を苦しめている。

 

これはまだハッピーエンドを見つけていない、

私の日記。

何気ない日常の塊で人生は出来ている

と、私は思う。

 

休載して2か月で色んなことがあった。

ゲームで責任者になり、人と人を束ねたり、

これから友として関係を築くことができると思っていた人が、

私から離れてしまったり、

 

ホテル時代の同期と半年ぶりぐらいにご飯へ行って、

お互いの人生設計について話し合ったり、

 

つい先日、仙台で行われた櫻坂46の2ndTourに行ってみたり。

現場は5年ぶり。高1の時にHKT48のライブへ行ったっきりだから。

 

溢れんばかりの人、人、人、を見たり。

 

美味しい珈琲豆を扱っているお店へ行ったり、

行列のできるずんだ餅を食べたり、

仙台空港で初占いをしてもらったり……。

 

別れと再会。そして新たな挑戦。

久々の経験。

 

目まぐるしく重ねた日々だった。

 

正直、ブログを書くと言うことは、

ある意味自分を曝け出すと言うことで、

自分とも向き合うと言うことなので、

凄く体力のいることで、

 

だから疲弊して書けなくなっていました。

 

今は、まだましになったので

書いてますが、

 

書けるときに、書くスタイルにしようと思っています。

 

そういえば、調理師免許試験に合格しました。

料理人として、ようやくスタートラインに立てた気がします。

 

今年は色んな種をまく年にすべく、

色々行動しようと思います。

 

来年は叶える年にしたいですね。

新たに進む一歩

私はここ数日で色んな一歩を踏み出した。

 

メンタルクリニックを変えたこと。

連勤して休まず、頑張ってお金を稼いだこと。

今まで自分のことが嫌いで憎かったけど、

どうにか自分を愛そうと努力していること。

 

もう過去は変わらないから、

引きずりすぎるのはやめて、

今を見据えようと。

 

今は少し清々しい。

全部を頑張りすぎて身体を壊すのをもうやめよう。

 

毎日乗り越えて、

目標を見つめて、命を繋いでいって、

笑って生きたい。