晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

評価されるためだけに書いてる?

このところ、ブログや小説などのアクセス数の伸び悩みに苦しんでいる。

でも何でだろう。始めた頃は、アクセスが付けばよいぐらいに思ってたのに、

どうして欲があふれ出るんだろう。

 

書いてるからには評価はされたい。

だけど、評価されたためだけに書いてるわけじゃないよな、と思い返した。

 

確かに自分の書きたいものだけ書いて、

賞を取れることなどほとんどない。

 

小説家になるために、賞を取る。

だからそのために、傾向と対策を勉強し、

その制約の中で面白い作品になるように努力する。

 

それなら道筋が通っているけれど、

今の私はただの承認欲求が溢れて堪らない人。

 

 

私は「評価されることだけ」を意識しすぎている気がする。

もっとラフに、もっと自由に書いてもいい気がすると思う今日この頃。

 

今一度、書きたいものは何か考える時期が来たようだ。

眠るのが怖いということ

前までは寝ることは癒しだった。

疲れをとる1つの手段で、喜怒哀楽で言ったら、嬉しい方だった。

 

でも、いまは違う。脳波のようにみえないものをひたすら探索するような日々で、

いつになったら時間はひっくり返り寝られるのか。

不安でおかしくなる。

 

小学生の頃、眠ると死ぬと思っていた私は、

寝るのが怖くて、わんわん泣いていた。

 

死んでいたらどうしようだなんて言っていたけれど、

そんなに心配しなくてもまだ死なないさと今になれば思う。

 

相変わらず不眠症は、

私の身体を蝕む。

 

でも、負けるわけにはいかない。

私は私の人生があって、達成したい夢がある。

 

海外に留学へ行きたい。

小説家になりたい。

作詞や台本も書きたいし、

料理人として技術も磨きたい。

 

私は頑張って、目眩や不眠症と共存するんだ。

さあ、また明日から仕事を頑張ろう!

死というのを間近で見たとき

私が高校1年生の時にお爺ちゃんが無くなった。

父方のお爺ちゃん。余り話さず、ソファに横になって眠っているのが多かった。

 

私は、ほとんど話したことがなかった。

いつも嬉しそうに話すのはお姉ちゃんとだけだった。

 

そんな爺ちゃんが危篤状態だと知ったのは、

芝居の稽古中だった。私は演劇部の初舞台でW主演だった。

 

私は休みの合間に、

病院へお見舞いに行った。

 

その時の爺ちゃんは、

血が通っていないように白かったような気がする。

 

見るだけで涙が湧いてきた。

 

それから爺ちゃんは亡くなってしまって、

本番直前の練習に私は出れず、

葬式に出席した。

 

正直、話したこともない爺ちゃんの葬式で

泣かないと思っていた。

 

だけど、私は葬式が始まってすぐ

息もできないほど、ボロボロと泣いた。

 

棺桶に入った爺ちゃんを見るのもためらってたけど、

どうにかお母さんと一緒に見た。

 

それから爺ちゃんが2階に運ばれていて、

そこで皆とご飯を食べながら、

爺ちゃんの話をしていた。

 

当時私は何で、遺体があるのに、

食事できるのかしていいのかわからなかった。

 

故人の思い出を振り返ることの場所。

というのが分からなかった。

 

小さい子供は無邪気に走り回っていて、

私は親戚など来た人にビールを注ぎに行ったり、

隠れて台本を読んでいた。

 

丁度その時の役が、

友達を亡くすという役だった。

 

顧問の先生から「死というのは何なのか見てきなさい」と言われた。

 

本番の時だったか、

その前だったか、私はその舞台で泣きかけた。

 

本番ではその友人が亡くなった時、

大声で名前を呼んだ。

 

それは本当の意味での哀しさが詰まった声で、

演じながらびっくりしたのを覚えている。

 

それから数年は、

爺ちゃんは死んでなくて、ただ帰ってきてないだけに感じた。

 

その数年後、お父さんのお兄さん、

私から見ておじさんが亡くなった。

 

おじさんは凄くやせ細っていて、

会話も余り出来ず、私はその姿を見るに堪えなかった。

 

 

つい先日、友人の親戚が亡くなったと聞き、

その話を思い出した。

 

おじさん、お爺ちゃん、

私達の世界を見ている?

 

2人が居なくなって、

親戚同士はギスギスしているんだよ。

 

どうしよう。家族も壊れてるのに、

親族も壊れている。

 

こんな私でも、

壊れた私でも、誰かを愛せるかな。

 

「何者」でもない自分を探し求めて

あの頃。高校生の頃、やけに走っていた気がする。

まだ何者でもなかった僕らは、

それが何のなのかを探し求めて。

 

大人になればわかると思っていた。

この世の中の不条理さも何もかも。

 

けれど、大人になって思うのは、

子供の時よりも「わからなくなる」ことだ。

 

子供の頃よりも大人になれば、

皆と同じように働き、同じ思考と持つことをやんわりと指導される。

 

あの頃のような純粋で弾けた笑みを

私はいつ置いてきてしまっただろう。

 

子供の頃に感じた

大人への不信感をきっと忘れかけている。

 

そんな大人にだけはなりたくないと思ったのに。

 

少しずつそんな大人に近づいているのが

怖くて堪らないと思っている大人は私だけだろうか?

丸裸な私とは?

自分自身でこれが私だ。これが本当の自分だと分かる人は、

一体どれぐらいいるだろうか。

 

私はずっと自分や人を分析し続けてきたけれど、

それでも本当の自分を知れていない。

 

フリップをめくるように、

隠された部分がいくつか分かる瞬間がある。

 

けれど、全容を知りたいと進んだ時、

何かに阻まれる。

 

都合の悪いことで塗れていようが、

丸裸な私を知りたい。

 

そう思って、時々自分に色んな問いを問いかける。

 

私は独り言をしながら、インタビュアーに何か質問をされているテイで、

話すと、自分の思考を整理することができる。

 

傍から見たら怖いかもしれないけれど、笑

これが私自身を理解する1つの術。

 

私は小説を書いている時と、

映画を観ているときと仕事している時以外は、

心にぽっかり穴が空いている。

 

傷口に沁みるように苦しい。

何か吐き出したけれど、それも何か分からない。

 

そんな辛さを誰に打ち明けたかいいかわからない。

打ち明けることが負担になると知っているから。

 

人にはキャパがあって、

聞ける話と聞けない話がある。

 

そして時期にもよって、

その人が悩んでいたりすると、聞ける話も聞けない話になってしまう。

 

世の中は難しい。

 

嗚呼、私、幸せになりたいなあ。

でも、なれない運命なのかな。

 

22年間こんなに報われなかったのだから、

これ以上、待てないや。

新たに進む一歩

今日は短文になります。

そしてこんな時間の更新。

 

いつもこの時間帯に布団に入るのです。

日付が変わって今日、私は新たなバイト先で

働きます。

 

いろんな不安があります。

自分の体験や技術が通用するかどうか。

未体験の接客をこなせるかどうか。

 

そのお店に馴染めるか。

 

私は7回教えてもらったあと、

一人でお店を回さなければなりません。

 

さあ果たしてできるかどうか。

不安です。

 

好きな子から連絡が来ました。

 

「どうにもなれ、でいいんだよ」

 

少しだけその流れや

お店の雰囲気に身を任せてみようと思います。

 

頑張ります。

もし読んでいたら、皆さん私に力をください。

 

頑張ります。今日の午後から仕事です。

 

頑張ります!

あのこの言ってた意味が初めてわかった

「私ね、1人だと眠れないの」

 

そう言っていた彼女の言葉は分かっても、

理解はできなかった。

 

眠るって1人でできることじゃないの?

 

当時、会いに行ったとき、

私が朝起きると、その言葉通り、

すやすや寝ていた。

 

朝ごはんを作っている音で目覚めた彼女は、

少し身体を伸ばして、唸りながらも、

食器を用意してくれた。

 

私が来て、少しは眠れたのだろうか。

 

そう過った。

 

 

不思議にも私は不眠症になった。

そして彼女の気持ちがわかった。

 

それでなくとも生きることは1人なのに、

目を瞑ると、暗闇の中に放り出され、

ありもしないことを考え込んでしまう。

 

眠れたと気づくのは翌朝。

それまで一体どうやって、

過ごせばいいのか分からない。

 

自分には絶対起きないだろうということが

起きることもあり、

いまわからないことがわかる日が来る。

 

人生というのはわからないな、と思ったし、

深いとも思った。

ミス

先日、キーボードの掃除をしようとして、

いや、もちろん初めてなのです。

 

1つ外して、掃除して、

ハマらなくなり、あれどういう仕組み?と、

もう1つ外しました。


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そうしたら両方ハマらなくなりました。

エンターキーも掃除して、それは見事にハマったのですが、

音が鈍い音から、カーンッという音へ変わり、

なんか打ちにくくなりました。

 

無念。

 

深夜テンションでやることではなかった。

トホホ。

原点に立ち返って

小学生の時、私はまだVHSテレビを録画していた。

その時は同時録画なんてできなくて、兄姉で取り合いになったりもした。

 

その時、私は地上波でやる映画にジャンルを問わず、

かじりつくように見ていた。数年に一度か、父が「レンタルビデオに行く」と言った時、ドキドキしたのを覚えている。

 

だって大好きな映画がずらーっと並んでいて、

何を借りればいいかわからなかったから。

 

今となっては、自転車でレンタルビデオ屋に行けるし、

ネットフリックスやアマプラで映画をサクッと見れるけれど、

当時の私にとっては、自分で選択できる限られたチャンスだった。

 

悩みに悩みまくって、1本借りることができたかどうかは覚えていない。

 

最近、たまに新作が安くなると知り、

久々にレンタルビデオ屋に足を運んだ。

 

昨年公開したばかりの作品がもう旧作になっていたり、

見たかったこの映画もマイリストにいれたまま見ていない映画も

たくさん並んでいた。

 

映画を借りると期限がある。

たくさん借りすぎると1日に1本か2本は見なければ間に合わないことだってある。

 

それを久々に体験して、

何だか懐かしい気持ちになった。

 

どうか配信サービスだと、そのDVDに付属している予告編を見て、

気になる映画を増やすということはほぼないけれど、

DVDだとこれから1作品見るっていうのに、永遠に見たい物が増えていき、

頭を抱えた時期もあったな笑と回顧した。

 

私は一生のうち、どれほど見たいものをみれるのか、

悩んでも仕方ないことを悩んだこともあった。

 

やっぱり映画は楽しい。

その時期の自分にその1本が合わなかったとしても、

それも出逢い。

 

やっぱり、映画を観ることはやめられない。

ずるむけの私

いつからだろう。自分の心や体に鎧をつけたのは。

それは感情や現実から守るための手段として、

自己防衛のために自然にできたものなのか。

 

地球上のどれぐらいの人が、

自分を理解できているのだろう。

 

私は、今日まで自分を完全に理解できているつもりで居た。

 

けれどそれは違った。

社会に出ている自分や普段の自分はある程度の鎧を身に着けていると。

 

辛くても、辛いと弱音を吐かない。泣かない。

苦しくても、我慢する。

 

当たり前かもしれないけれど、

その鎧を全て剥がされる瞬間を見た。

 

睡眠導入剤を飲むと、脳がマヒされて、

いつもの自分ではなくなる。

 

いや、言い方を変えれば、

感情が忙しなく動くのがきっと本当の自分。

 

色んな我が儘を本当は抱えているけれど、

大人だからと抑えつけているものが、

弾ける瞬間を目の前にすると、

いくら身体や年齢は年を重ねても、

子供時代から繋がっているんだと気づく。

 

決して、子供と大人と分断しているわけではないんだと。

 

そんなずるむけの私を見ると、

どれがストレスだったのかと分かることがある。

 

普段、社会的に良い大人として存在している私が、

ずるむけになったとき、どれほどの悩みや不安や焦燥感に駆られ、

どうしようもなく切なくなっているのか。

 

そこから紐解くと、

何に悩んでいるのかわかっていたりする。

 

何も薬を飲むからみなそうなるわけではないけれど、

本当の自分を知ると、何かどこかでの不快感が言葉として現れる瞬間がやってくる。

 

すると積年の重みが、

解ける瞬間がある。

 

これは積み重ねた分だけ暴れ出すのだろうか。

だとしたら、22年間分の感情を読み解いていかなければならない。

 

果てしない作業だけれど、

自分を知るいい旅なのかもしれない。

 

今日も今日とて寝れない夜

今日も今日とて寝れない夜だった。

睡眠導入剤が入ると酩酊状態になるため、

いつもよりも神経が敏感になり、

焦ったり、不安になったり、パニックになる。

 

それを止める術は、

誰かと話すこと。

 

でもそれを使える時はほぼない。

 

2時や3時で誰が起きてようか。

 

なので、前寝れなかった時にしていたことをしてみた。

 

ずっと気になっていたけれど、

めんどくさくて後伸ばしにしていた服の片づけ、机の整理、

あと映画をいくつか見る。カフェイン入っている珈琲を飲みながら。

 

皆さん、眠れない夜は何をしますか?

 

良ければコメント欄にて教えてください。

 

明日か明後日には新たなバイト先に応募します。

今月中には面談、そして、採用となれば働けれるのかな?

 

また大好きな料理を作る仕事に就けるという期待と不安で、

私の気持ちは全て持っていかれそうだけど、

それでも前へ進んで頑張っていこうと思う。

 

どうにか、働ける日まで、

この不眠症とうまく付き合いたい。

苦手なものを極める

私はネットのシューティングゲームが下手くそで、

ずっと避けてきた。

 

けれど、ネット友達(姫とひげおじさん)と出逢い、

PUBGで毎日やっているうちにうまくなっていった。

 

苦手なこともコツコツとやっていけば、うまくなるんだな、と思った。

 

小さい頃は、苦手なことから避けてきたけど、

大人になってからのこの経験は、貴重な気がした。

 

話は変わるが、私の夢は小説家と劇作家になること。

 

umikyou.hatenablog.com

 

是非この記事を見て、アクセスしてもらえたら嬉しいです。

 

ネット友達(姫とひげおじさん)のことは次の記事から

 

 

umikyou.hatenablog.com

 

 

見返りを求めたらいけない?

私は母に言われたことがあった。

 

「海京は人を救うために生まれてきたのかもしれない」と。

 

救うことが正義だと思って、

自分のキャパがオーバーしても、相談に乗ったり、

出来る助けはしてきた。

 

でもそれなのにどうして人は離れていくんだろう。

 

社会人になって疎遠になるから?

恋人が優先になるから?

 

私は分からない。

 

私から離れていくということは、

私に原因があるということだろう。

 

だからその度に、何がいけなかったのか、

いけないのか探して、改善した。

 

なのに、また離れていった。

 

大抵人は「絶対離れないから!」なんて言う。

 

そういう人に限って、

離れていくんだ。

 

だから「絶対」だなんて、

確証のないことを言わないでと言って居るのに、

自信満々に言うから……。

 

人が離れてゆく度、私は傷つく。

そして、心の扉がまた1つ増え、閉まる。

 

私は一体どうやったら、

こんな忌々しい日々から抜け出すことができるんだろうか?

それでも、いいよね

2日ほど、ブログをお休みさせてもらっていました。

感情が忙しい日々で、少し落ち着いてから書きたいな、と思ったからです。

 

今日書く話は、年齢とともに変わってきたことです。

 

昔、小学生の頃は、本をいっぱい図書館で借りてきて読破できました。

でもいつの日か、中学生の時の朝の読書の時間に読む小説は、1冊読むのに、

1か月~数か月掛かるようになりました。

 

速読がトレンドになってきている世の中、

流行るのも早い一方廃るのも早くなっているんではないか、と思っていますが、

私は逆行しています。

 

休職と療養をしていた1年間、それまで仕事で、

好きな映画を観る時間が出来ず、映画館へも全然行けなかった私は、

今までの憂さ晴らしかのように、浴びるように映画を観ました。

 

1日1本、下手すると、2、3本見ていました。

 

今はもう、ドラマ1話見るのも精一杯どころか、

1日では無理な時があります。映画も分割してみることが増えてきました。

 

本当は流れで見た方がいいんだろうけれど、

何だか、昔よりも感受性が豊かになっているせいか、

その余韻でに浸っていたくて、

 

素晴らしい一本に出逢った時はしばらく何も見たくないし、

あまり、自分にヒットしなくても、

塗り替えずにそのまま感情を受け止めることが多くなりました。

 

読書好きと言うと、たくさん読んでなきゃいけないという固定概念も、

映画好きと言うと、たくさんの名作を見ていないといけないという考えも、

別にいいかな、と思います。

 

世の中にはたくさんの作品で溢れていて、

残念ながら、全ての国の芸術作品を死ぬまでに浴びることは不可能です。

 

けれど、自分で選択することが出来る。

そういう尊い意思がある。

 

それを尊重して、どんなにペースが遅くとも、

1つ1つ大事に触れていきたいです。

 

それが例え、世の中から逆行していたとしても。

 

求められているものとは何か?と考える

最初ブログを始めたときには、アクセスなんてなかった。

サイトの使い方もわからなかった。けれど何かの縁で1人読む人が出来て、

アクセスがあっていい方だった。

 

けれど、続けて約7か月だろうか、

去年の10月21日に投稿を始めて、ようやく多くのアクセス数や

読んでくださる方を手に入れることが出来た。

 

他愛のない言葉やただオチのない話や悩みばかりで、

こんなのを投稿して、何かになるのか、と自問する日々ですが、

元々そういうコンセプトなので、ここは我が儘をさせてください。

 

書くことで、自分の意見を整理したり、

同時に過去の記事を見て、ハッとさせられたり、

答えを導いてあげたいのです。

 

よく、

「求められるものを書く」

「好きなものを書く」という選択肢をよく聞く。

 

私はわからない。皆さんがどの記事を見て、

読者になってくれたり、スターをつけてくれているのか。

 

でもきっと何か魅力があるから、

見てくれているわけで、

時々休みながらにはなりますが、

少しずつ言葉を紡いでいこうと思います。

 

映画が好きなので、

そういう話とか、

珈琲焙煎をするので、

そういう話とかもいずれしたいです。

 

umikyou.hatenablog.com

原点回帰。ということで、初めて書いた記事を貼っておきます。

 

 

梅雨の季節で、

中々重い腰が上がらない日々ですが、

皆さまが身体を壊すことなく、よい1日を始め、そして終え、

明日を迎えられることを、祈っています。