晴れを待ちわびて

トラウマを抱え、自律神経失調症になり、現在抑うつ状態と診断され、懸命に毎日生きていく日常ブログです。

疲れが取れない

薬を飲む時間で、目覚められる時間が変わることが最近分かった。

睡眠薬を飲み始めて、1年ほど経つというのに、

今更、気づいた。非常に遅いスタートだ。

 

10時ごろに、気持ちを安定させる薬を飲めば、

朝8時には起きられる。アラームの音が聞こえる。

でも、寝つけるまでの時間が地獄だ。

 

かと言って、その安定剤を寝る前の深夜1時に飲むと、

アラームをいくら掛けても、耳に入ってこないのだ。

結局起きるのは昼の12時。

 

とは言っても、1時に飲んでも、

寝付きは悪いので、それも地獄。

 

どちらを選んでも地獄だが、

後者の方がまだ時間が短い。

 

けれど、人として、

働いてもいないのに、昼に起きるのは、

人としてどうなのか、という倫理観に襲われる。

 

ご飯を食べれば、血糖値が上がり、

また眠くなる。

 

昼の12時起きて、朝昼兼用のご飯を食べれば、

また眠くなり、寝て、起きて、活動する。

 

そんなことをしてるから眠れないんだろうか。

いや自律神経が乱れているからか。

 

そんな風に考えこむ、今日だった。

明日は気持ちよく10時ごろに起きているだろうか。

先生とのご飯~串揚げ屋さん編~

17時30分ごろ、高校の演劇部時代の顧問だった先生と合流し、

串揚げ屋さんに向かった。

 

先生とはもう4,5回ご飯へ行っている。

こんなに先生と元生徒がご飯へ行くって言うのも中々無いんだろうなぁと、

思いながら、先へ進んだ。

 

マップを頼りに行くが、全然辿り着かず、

革靴なのに凄く歩き、やばい疲れたと思ったが、

ついて、久々にお酒を飲むと、なんだかそれも吹き飛んだ気がした。

 

串揚げは脂っぽいんだろうなぁと思っていたら、

そんなことなく、さっぱりと食べれた。

トマトの串揚げが一番おいしかったと思う。

 

揚げ物に大好物のポテトフライは、

〆のパンチをされたようで、少々苦しかったが、

美味しかった。

 

2杯目はカシスソーダ―にした。

なんか違和感があると思ったら、いつもカシスオレンジを飲んでた。

どおりで、アルコールアルコールしていると思った。

 

少し酔った。

 

自分の加減が2杯までだけど、

何だか行けそうな気がしたのもお酒の魔の力。

 

たくさん歩き、たくさん食べ、程々にお酒を嗜み、

思い出話に花を咲かせ、良い土曜日だった。

 

「海京の前では素の私だから!」

 

というのは、生徒冥利に尽きるというか、

これ以上の言葉はないな、と思った。

 

先生ありがとうございました!

 

またご飯行きましょう。

今度こそ、私がお金出します!

 

眠れない夜、眠りに落ちる朝

ここ1か月か、数週間、眠れない日々が続き、

気力も衰えていた。

 

ようやく今日、通院の日で、

新しく睡眠薬を貰った。

 

これで1か月は眠れるようになる。

でもたぶん、またその後は眠れなくなる。

 

その繰り返しだ。

この前、薬飲んでるから寝れないのかも、と思い、

飲まずに布団に入ったが、数時間眠れることはなく、

というか、兆しすらなかった。

 

そこで私は、薬頼れないと寝れないことに気づき、慄いた。

 

いつか、今よりも薬を減らしていくことが出来たら、

こんなに嬉しいことはない。

 

そのためには、健康第一で、

自分にできる範囲でできることをするしかないと改めて思う日だった。

漂う気持ち

家に居ると、時々不安になる。

 

海で身体を漂わせているようなゆったりとした中に、

不安が混じり、これは辛いのか辛くないのか、

分からなくなる程の緩さ。

 

今日だってそうだ。

特段、イヤな事があったわけではない。

 

なんとなく、父と母の話してる言葉を聞くだけで苦しい。

なんとなく、自分の部屋越しに聞こえる声が、

また誰かの悪口を言ってるんじゃないかと冷や冷やして、

私はイヤホンをして、世界を塞ぐ。

 

ずっとイヤホンをしていたいワケじゃないのに。

普通に過ごしたいのに。

 

来年、一人暮らし出来たらいいのに。

いや、たぶんそんな資金は貯まらないだろう。

 

だから、再来年か、そのまた来年になる。

それまで私はどうやって耐えて過ごせばいいのだろうか。

 

 

寛容な大人になりたい

例えば、何か嫌なことをされたりしたとして、

その人と会った時にそのことがフラッシュバックしたとする。

 

その時、皆さんは大人の対応をしているのだろうか?

 

私は自分の顔を見れていないから、

正直、どんな顔をしているか分からなくて怖くなる。

 

もしかしたらムッとしているかもしれないし、

目が笑っていない笑い方をしているかもしれない。

 

そんな時、そんな過去も水に流しちゃえとなれる寛容な大人になりたい。

 

最近読んだブッダの本で、

人を許すことが大事と書いてあった。

 

仏教については全く知識がないのだが、

超訳シリーズが好きなので購入してみた。

 

(検索してもらえば出てくるかと思います)

 

その中で人を憎むことは巡り巡って、

自分の中に毒を回してるのと同じ、というような表現があったと思う。

 

こういう類のことは、

是非自分の目で確かめてほしいのだが、

 

なるほどな、と思った。

 

確かに、人を憎んだり、恨んだりして、

幸せだと思う瞬間はこれっぽっちもない。

 

そうか、巡り巡って自分を不幸にしているのだと気づいた。

 

過去は変わらないと言うけれど、

だからと言って、過去のことを許せるかと言われると正直すぐには答えられない。

 

自分が、そんなちっぽけな心の持ち主であることが恥ずかしい、と思うと同時に、

憎しみや恨みを超えて、許せるような大人になりたいと思う。

 

人を恨んでも仕方ないよ。なんて、人に言えてるようになったら、

私は少し成長している証になるのだろうか。

 

親が思う理想の子供ってなに?

どうすれば親にとって「あの子は親孝行だ」と思わせることができるのか、

ふとしたときに考える。

 

極論、「生きていれば親孝行だ」と人から教えられたこともある。

でも、それは極論で、それ以外に求めることがあるはずだ。

 

例えば、良い大学や就職先に行ってほしい、

結婚してほしい、孫の姿を見たい、何でもいい、

親が思う、理想の子供像とはどんなモノなのか聞いてみたい。

 

世間体を気にせずに答えてほしい。

 

どんなモノですか?

 

晩御飯を代わりに作ったり、

ボーナスが出たら、少し多めに生活費を上げたり、

たまにプレゼントをしたり。

 

私にはこんなことしか思いつかず、

行動できていない。

 

親は、それだけで満足しているのだろうか。

はたまたもっとしてほしいのだろうか。

 

親の頭の中を見たいような見たくないような、

今日はそんな衝動に駆られる日のようだ。

明日は雨か晴れか

明日が晴れなら、皮膚科でイボと透けてプチプチしているところを焼く。

明日が雨なら、家で映画を観るか、静かに小説の校閲でも進める。

 

そういえば、一昨日買った本を読みたいと思って、

ずっと机に置いてある。

 

これはまずい。このまま読まないパターンだ。

これを何度も繰り返している。

 

学ばない人類代表だ。

 

最近、不眠が激しくなり、

朝4時まで眠れなくなった。

 

ご飯を食べた後は血糖値が上がって眠くなる、というが、

それを利用して、朝4時にご飯を食べて、

そのまま眠るという胃に悪いことをしている。

 

ただでさえ、自律神経が狂っていて、

逆流性食道炎ぎみで胃薬を飲んでいるのに、

こりゃあ悪化するぞ、と思いながらも、

今週の金曜日までの辛抱だ、と言い聞かせている。

 

明日か明後日には、

フリマアプリで買ったネクタイが届く。

 

緑色のネクタイだ。

楽しみだな。

 

最近はそれほど、気分も下がっていないので、

少し安心している。

このまま続けば嬉しいのだが。

サービスに優しさを覚えた日

フリマアプリで中々売れなかったモノを早く整理したくて、

リサイクルショップに2件回った。

 

その内の1つのリサイクルショップで、

未使用品の化粧品を出すと、

待機番号が掛かれたレシート。その上の重しの様に置かれたコイン。

 

コインでカフェオレが飲めるというので、

飲んでみた。

 

苦い珈琲よりは甘党なので、

コインを入れてみる。

 

思ったり美味しくて、

飲んでいる間、遊園地よりもワクワクした。

 

5円でも10円でも値段が付くかもしれないという高揚感と、

待つからってサービスで無料で飲めるカフェオレ。

 

めちゃめちゃ幸せな時間だった。

 

結果は100円で引き取ってくれた。

100円は貴重。数十円にならなかったことに感謝。

 

心をワクワクさせて、家まで自転車をゆっくり漕いだ。

 

ちょっと甘さが数時間経った今でも残ってはいるが、

まあでも無料だし。

 

世の中はハロウィーン。でも私は無縁。

そして、サービスに優しさを覚えた日という色が付いた日。

 

また、リサイクルショップに行ってみようと思った。

少し知らない世界を知れて嬉しかった。

まだ21才だよ。まだ若いよ。

と、言われたことはないだろうか?

 

私はある。

 

何かと、「まだ若いんだから」「まだ21才だから」と言われる。

慰めや若いのにそんな焦らなくてもという宥める気持ちもあると思う。

大概、悪い意味で言っていることではないのは重々承知している。

 

けれど、いつか「若いんだから」という単語を言われなくなったら、

どうしたらいいんだろうと思う。

 

30代になって、もし身体が元通りになってなくて、

働けていなかったら「いい加減働きなさい!」と言われるんだろうな、とか。

 

「若いんだから」の対義語は「いい年して!」だと思う。

 

私は去年の春頃から会社を休職して、

半年後の秋に退職した。

 

1年半も働いていないのだ。

働けていないのだ。

 

働きたくても、働こうとすると、

目眩で動けなくなる。精神的に参って、死のうとしてしまう。

全てが狂って、家の中で歩くのも精一杯になり、

まともに会話もできなくなる。

 

そんな文字通りの地獄のサイクルを経て、

今に至る。

 

来年、私は働くつもりだ。

きちんと社会復帰できるだろうか。

 

また給料を貰って、色んなものを払えるだろうか。

不安で仕方ない。

 

18ー20才までのあのキラキラとした輝きを取り戻せるだろうか。

 

周りの同級生はきっと今も頑張って働いたり、

卒業に向け、勉学を励んでいるのに、

私だけ、こんなに大幅な休憩をしていいんだろうか。

 

私は、きちんと生きていけるのだろうか。

明日も生きているんだろうか。

 

たぶん今日も夜は眠れず、

朝方眠り、昼に起きるだろう。

 

こんな生活、いつまで続けるんだろうか。

0からのスタート

昨日、アクセス数を確認したところ、

一昨日、アクセスがあったということで、

うおっしゃあ!と喜んだ。

 

なんせ、0からのスタートだったから、

少しでも数字がつけば嬉しい。

 

けれど、今後は、数字をつけ続けるという目標と言うか、

脅迫概念で悩まされるんだろうな、とは思うので、

少し怖い。

 

それで束縛されることにより、

純粋な言葉が紡がれていかないのではないのかと危惧しているが、

未来のことを不安がっても、未来はミライの私にしか分からないので、

考えるのはやめておく。

 

来年は、再来年の賞に向けて、

小説を書きたいが、最初から長文は難しいので、

少しずつ広げていきたいところ。

 

たくさん見てもらえれば、

それだけ純度が増してくるはず。

 

そう信じて、夢に向かって、

果てしない距離だとしても、

少しずつ縮めていきたい。

自分に必要な人って何だろう

親に言われたことがある。

 

「自分に必要な人だけ残るのよ」

 

時期によって、くっついたり、離れたりする関係は、

恋人に限らず、都合の良い関係ではないんだろうか。

 

不安になる。

 

私は人が離れるのが怖い。

だからひどいことをされても、

縋りついてしまう。

 

それは毒となり、自分を蝕むのに。

そうと分かっていながらも、

都合の良い人として利用されてもいいから、

とにかく多くの人に愛されたい。

 

こんな私は欲張りだろうか。

変だろうか。それとも普通だろうか。

 

私は今、演劇部時代からの付き合いの男子1人と、

文通をしている同級生の女の子と、

干支一周分年上の女の人(姉さんと呼んでる)を頼っている。

 

これだけ居れば十分なのだろうか。

 

でも、この枠に入れなかった人たちは、

私が振り落とした人たちなんだろう。

それってイケないことじゃないのか。

 

わからない。

 

その3人も何時か、私から離れていくんじゃないか、不安で堪らない。

みんなそうやって離れていったから。

 

私が優しくするときだけ縋りついて、

私が困ったときには居なくなるんだ。

 

そういう役目だとしたら、

私は一生報われないんだろうか。そんな人生は嫌だ。

 

自分に必要な人は必要な時に出逢う。

 

何時になったら、そんなことが起こるんだろうか。

たくさん作って、作りたくて

明日はひよこ豆味噌を作る。

昨日辺りに「明日買いに行くぞー!」と意気込んでいたけど、

実はこの味噌作りは1,2年前からずっと気になっていた。

 

でも母の反対もあって、仕事も忙しくて、

メンテナンスが出来ないだろうとその夢を手放していた。

 

遅すぎるかもしれないけど、

今この時間を有効に使おう。できる範囲で夢ややりたいことを叶えていこう。

失敗さえも受け止めてやろう。

 

そう思ったら、少しだけ勇気が出た。

 

明日はひよこ豆味噌を作り、

バニラエクストラクトを作る。

 

名前は長いけれど、バニラエッセンスを科学的に濃縮してないもの。

ウォッカとか好きなお酒(たぶん日本酒は合わないと思う)に

バニラビーンズのさやを入れて、時々振ったりすると、段々茶色になる。

 

一番古いので2018年ごろのがあるが、

もう香りが違う。カスタードクリームを作る時、味の変化に思わず驚いた。

 

そして来年は家庭菜園でバジルでも作ってみようと思う。

割と初心者でもいけるみたいなので、やってみる。

 

北海道は割と長く寒いので、5月ぐらいに植えようかな。

その頃にはバイトで少し稼いでいるから、

魚を捌く出刃包丁を自分のために買おうかな。

 

実家に、兄が修学旅行で買った出刃があるが、

自分のナイフが欲しいので、たぶん買う。

 

あとは自分で豆も煎りたいし、

エスプレッソにも興味がある。

 

あと眼鏡を4、5年掛けてて、そろそろ限界なので、

買い直したい笑

 

こうやって見ると、来年は出費が多そうだけど、

堅実に貯金もしながら、程々に物の交換しようと思う。

 

さ、明日は味噌作りとバニラ作り。

楽しみだな。今日の夜眠れなかったとしても、明日には希望がある。

いろんなパスタ

コックになる前、パスタと言えば、

ナポリタンだった。

 

コックになった後、トマトソースのパスタの美味しさに気づき、

そこからカルボナーラの美味しさにも気づいた。

 

ただ、ペペロンチーノぽいのは作ったことがあるが、

何故かペペロンチーノの塩気だけは何故かまだピンと来ていない。

 

 

カルボナーラも全卵と卵黄と生クリーム入れる派色々あるんだなあ、と

昨日レシピ本を見て、改めて思った。

 

最近パンチェッタを作った。

これが美味しい。パスタにベーコンよりもパンチェッタの方が美味い。

 

長いもと納豆のパスタを見たことがある。

挑戦するかどうか悩んでいる。

 

長いもと納豆にご飯は美味しいけれど、

パスタは合うのか?

 

結局イタリアンに行くと、

トマトソースかカルボになって、挑戦できない。

 

今度はジャノベーゼを食べてみたい。

でも、周りのお店には置いていないので、

自分で作るしかないみたいで。

 

すり鉢買わなきゃ……。お金無いのに……。

 

来年は家庭菜園を始めて、

バジルを育てようと思う。

 

北海道は寒いので、4月の終わり頃から5月ぐらいに植えましょうか。

文通相手

私には最近文通相手が出来た。

高校2、3年生の頃のクラスメートの女の子だ。

 

所属しているグループは違った。

どちらかと言えば、花形のグループで。

でも、何処かで異彩を放っていた。

 

花形だけど、私みたいな陰キャというか、

グループに属さない、属せない人にも分け隔てなく接してくれた天使。

 

でも私はその彼女の明るさの中に隠されたものを垣間見たことがある。

ふとした時、同じ温度を感じたのだ。

 

 

私は幼稚園年長の時に、母親が脳梗塞で倒れた。

当時、姉は中学生、兄は小学生だったと思う。

私たち家族は、どうにかその危機を乗り越えるべく、奮闘した。

 

姉は母の代わりに、父の弁当を作った。

きっと私たちの面倒も見ていたと思う。そしてバレー部の活動もこなしていた。

 

兄はどんなことをしていただろう。

姉のことも実際には覚えていない。そうだった、という話を聞いて、

そうだったのね、ということから記憶の映像を作り出しているだけだ。

 

その傍ら私はあることを決断した。

 

ある時、私はストーブの前で体育座りをしていた。

ふと見上げると、その先にあるふすまが少し開いていて、

兄だったか姉だったか、どちらかが背中を震わせていた。

いや震わせていたかは定かではない。でもたしかに背中が辛さを物語っていた。

 

その時私は「しっかりしなきゃ」「迷惑かけないようにしなきゃ」と

小さいながら決断したのは強く覚えている。

 

そんな過去を持った私が、

心から分かり合えると直感を抱いたのが彼女だ。

 

でもグループも違ったし、

何より憧れていたから、うまく話せなくて、

中々距離を縮められずに卒業した。

 

でも仲良くなりたくて、

卒業後、連絡した。

 

私は当時ホテルで見習いコックをしていたから、

作った料理を送った。したら、喜んでくれたから、

毎回送った。

 

正直めんどくさいヤツだったと思う。

でも彼女は健気に「美味しそう」「うちに来て作ってよ」と言ってくれた。

 

そこから1年して、少し距離が縮まった。

 

ある日、私はどん底どん底に居た。

たぶんもう死のうとしてた。

 

その時、ラインだか、電話だかしたとき、

話を聞いてくれた。

 

周りは「まだ早すぎるよ」とか「これからいいことがあるよ」と言ったけど、

彼女は寄り添ってくれたし、何より、私にある秘密を打ち明けてくれた。

 

ここでは具体的な秘密を書かないけれど、

私と同じような死生観を持っていて、

仲間だ、と思った。

 

死生観というのは厄介で、

死を意識したり、体験、

もしくは身近な人が亡くなったりすることで変わっていくモノだから。

 

それとは無縁の生活をしていると、

どうしても「わからない」という会話になってしまうから。

 

「わからない」がきっと当たり前だとわかってはいる。

でも誰かがこの気持ちを汲んでほしい。

 

そう願う私にとって、彼女は、救いだ。

 

昨日、些細なことを手紙に書いた。

そして、今日郵便ポストに入れてきた。

 

この前、初めて届いたから、

今日で2回目。

 

細々と続けていけたら嬉しい。

時代と逆行したことも、何だか楽しい。

 

 

 

 

いつも偶然に

何かどん底に辛いことが会った時、恩師に偶然出くわす。

母校が近所にあるからというのもあるし、先生の家も近いということも関係ある。

 

『いつだって、突然だ』という小説を書いたことがあるが、

物事は突然起こることも多いな、と運命を感じることがある。

 

高校の時も、社会人になりたての時も、慣れてきた頃も、

身体を壊して、会社を辞めた今も、話を聞いてくれる稀有な存在だ。

 

先生は国語の先生で、私が高校3年生の時に赴任してきた先生で、

演劇部の副顧問になった。丁度私の国語の教科担で、

私が選択した国語系の授業も先生が担当していた。

 

そして、何より年齢が近かった。

 

当時17歳の私にとって、30歳の先生は、

どこか近くて。

 

大人にもなりきれていないけれど、子供と呼ぶには熟し始めている歳に、

こっち側のことを理解してくれようとしてくれる先生の存在は、

本当に有難かった。

 

だから何でも話したし、何でも相談した。

私の周りや親族は否定することばかりだけど、

唯一と言っていい程、絶対に否定しない人と言った。

 

こっちが闇落ちのような状態に陥っていても、

芯はブレることなく、客観的に物事を見つめて、

言える範囲で言ってくれる。

 

話は遮らず、最後まで聞いてくれる。

自分の意見にねじ伏せようとしない。

 

そんな先生が眩しくて、今もずっと憧れている。

こんな大人になりたい。こんな風になりたい。

 

年に何度かメールを送る。

返信は早くはないけど、真心のこもった返信をくれる。

 

今の時代、メアドを持ってくれていることは珍しいだろう。

でもこの関係が良いのだ。

 

先生と生徒。

どこかで一枚壁があり、プライベートな部分は、

お互いが吐くまで触れない。

 

でも辛い時は少しだけ踏み込む。

 

私が先生の悩みを聞くことはないと思う。

でも「こうやって話してくれるだけで嬉しいよ」と言ってもらえてるなら、

少しは恩返しができているだろうか。

 

次、会った時、

次、返信が来た時には、

良い報告もしようと思う。

 

先生と出逢えて良かったです。

先生のお陰で、国語の授業がもっと好きになりました。