私には最近文通相手が出来た。
高校2、3年生の頃のクラスメートの女の子だ。
所属しているグループは違った。
どちらかと言えば、花形のグループで。
でも、何処かで異彩を放っていた。
花形だけど、私みたいな陰キャというか、
グループに属さない、属せない人にも分け隔てなく接してくれた天使。
でも私はその彼女の明るさの中に隠されたものを垣間見たことがある。
ふとした時、同じ温度を感じたのだ。
私は幼稚園年長の時に、母親が脳梗塞で倒れた。
当時、姉は中学生、兄は小学生だったと思う。
私たち家族は、どうにかその危機を乗り越えるべく、奮闘した。
姉は母の代わりに、父の弁当を作った。
きっと私たちの面倒も見ていたと思う。そしてバレー部の活動もこなしていた。
兄はどんなことをしていただろう。
姉のことも実際には覚えていない。そうだった、という話を聞いて、
そうだったのね、ということから記憶の映像を作り出しているだけだ。
その傍ら私はあることを決断した。
ある時、私はストーブの前で体育座りをしていた。
ふと見上げると、その先にあるふすまが少し開いていて、
兄だったか姉だったか、どちらかが背中を震わせていた。
いや震わせていたかは定かではない。でもたしかに背中が辛さを物語っていた。
その時私は「しっかりしなきゃ」「迷惑かけないようにしなきゃ」と
小さいながら決断したのは強く覚えている。
そんな過去を持った私が、
心から分かり合えると直感を抱いたのが彼女だ。
でもグループも違ったし、
何より憧れていたから、うまく話せなくて、
中々距離を縮められずに卒業した。
でも仲良くなりたくて、
卒業後、連絡した。
私は当時ホテルで見習いコックをしていたから、
作った料理を送った。したら、喜んでくれたから、
毎回送った。
正直めんどくさいヤツだったと思う。
でも彼女は健気に「美味しそう」「うちに来て作ってよ」と言ってくれた。
そこから1年して、少し距離が縮まった。
ある日、私はどん底のどん底に居た。
たぶんもう死のうとしてた。
その時、ラインだか、電話だかしたとき、
話を聞いてくれた。
周りは「まだ早すぎるよ」とか「これからいいことがあるよ」と言ったけど、
彼女は寄り添ってくれたし、何より、私にある秘密を打ち明けてくれた。
ここでは具体的な秘密を書かないけれど、
私と同じような死生観を持っていて、
仲間だ、と思った。
死生観というのは厄介で、
死を意識したり、体験、
もしくは身近な人が亡くなったりすることで変わっていくモノだから。
それとは無縁の生活をしていると、
どうしても「わからない」という会話になってしまうから。
「わからない」がきっと当たり前だとわかってはいる。
でも誰かがこの気持ちを汲んでほしい。
そう願う私にとって、彼女は、救いだ。
昨日、些細なことを手紙に書いた。
そして、今日郵便ポストに入れてきた。
この前、初めて届いたから、
今日で2回目。
細々と続けていけたら嬉しい。
時代と逆行したことも、何だか楽しい。